ゆきけるに、猫果してかゝる。箱のまゝ、うらの川へもちゆかむとせしに、猫は、箱をやぶりて、とび出せり。箱をつくろひて、待ちけるに、猫また來りてかゝる。今度は、前のしくじりに懲りて、箱の中に殺して、然る後に、之を棄てにゆかむとて、無謀にも、猫に石油をかけて、燒き殺さむとす。猫は、箱の中にて、七轉八倒す。この時、姉は裏口の農家より小兒負うて歸り來り、表の口よりも客來たる。甥あわてゝ、猫に水をかけて、火を消す。されど、おそし。猫をころさんとせしこと、あらはれて、甥は母、姉の前に、いたく叱られたり。その來りし客は、家人が加持祈祷など頼む老婆也。余は、宗教を信ずるなら、もつと氣の利いたものを信ぜよと思へど、鰯の頭も信心、安心が得らるゝなら、必ずしも追窮するを要せずと、大目に見て、知つて知らぬふりせしが、この老婆、甥が猫を殺せるさまを、ちらと見て、家人に向つて曰く、今晩、神の御告あり。御家にて亂暴なる事をするものあり、早く往いてすくへと也。よりて、直ぐに來りしに、果して、猫を殺さむとせられたり。かゝる事爲して、神を信ぜらるゝとも、神はいかでかうけ給はむや、情なき御方なりとて、大に怒る。家人、その神の御告といふことを、まことと思ひて、いよ/\老婆を信じ、甥の爲しゝことにて、他の家内一同の知らぬことなりとて、あやまる。かゝる騷の中に、裏口の農家の主人、きゝつけて來りて曰く、これ迄、鰻をつりて來て、桶に入れ置きけるに、この猫にとられたること、幾回なるを知らず。われにも恨ある猫也。われに下されよとて、箱と共にもち行きて、池に投じて終に之を殺せり。
 この夜の出來事は、われ留守中にて、夢にも知らず。われ在らば、甥に恥かゝせじと思へど、せん方なし。たつた一匹の猫にして、かくまでも、多くの人を騷がしければ、死しても恨なかるべし。猫に善惡の念なし。宿なきまゝに、ありとも、十分に食を得ざるまゝに、鷄をかすむ。憎むよりも、むしろ憐れむべし。されど、それよりも、神の御告をいつはる老婆の方が、一層小面にくくして、且つ憐れむべき也。[#地から1字上げ](大正四年)



底本:「桂月全集 第一卷 美文韻文」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年5月28日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング