が自製新發明のステツキ也。中に入れたる酒の量は、二合五勺あり。『杖頭の錢』といふことは、支那にありたるが、『杖中の酒』は、他に其例を聞かずと、一同の喜び興ずるを見て、裸男大得意也。
 越ヶ谷を過ぎて、始めて鷄鳴を聞く。『鷄聲茅店月、人跡板橋霜』の古句、今に新たなるを覺ゆ。ステツキの酒に一同元氣づきしが、草木も眠る丑三の空、眠くはなる、脚は疲れる、休息すること數多くなりぬ。一平氏疲勞すること、最も甚し。『千葉に行きし時は達者なりしに』と訝れば、『あの時は達者なりき。爾來一年餘、身體肥るにつれて、脚力は衰へたり』といふ。四五町毎に一と休みして歩みたるが、粕壁の旅店に達したる時、夜は未だ明けざりき。
 例の如く、朝食を終へて、解散すれば、雨恰も至る。裸男は幹部其他の有志と共に、粕壁中學校に赴きて演説す。校長を誰かと見れば、松崎求己氏也。川越に夜行したるは、凡そ一年半の前なるが、當時松崎氏は、川越中學校の教頭にして、校長に代りて、我等を迎へられたり。今重ねて、こゝに相見むとは、思ひもかけざりき。
 幹部の四人に、山神、豚兒、豚兒の友人も加はりて、關東第一と稱する牛島の藤を見物し、且つ酒し且つ食したり。粕壁驛より東二十町。千年の老木、房の長さ五尺に及ぶと稱す。この日は五月六日、房の長さ、まだ二尺に及ばず。期早かるべし。記して、後の遊者に告ぐ。
[#地から1字上げ](大正五年)



底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月25日作成
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