粕壁夜行記
大町桂月
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第三回の夜行を粕壁に爲すこととなりけるが、夜光命も來らず、十口坊も來ず、山神慨然として、『妾を伴ひ給へ』と乞ふ。似たもの夫婦と、人や云ふらむ。裸男承知して、將に家を出でむとすれば、伊藤薊山、上京したるばかりの足にて、來り訪ふ。裸男の行裝を見て、『何處へ行く』と問ふ。夜行の事を告ぐれば、『相變らず元氣なる事かな。われも共に行かむ』といふ。『われを元氣といふ君こそ、相變らず元氣なれ』とて、相笑ふ。薊山今は太田中學校の教員なるが、裸男とは青年時代の舊學友にして、殊に遠足仲間也。幾んど日曜ごとに遠足したりき。いづれも貧乏書生の事とて、人並に汽車に乘る贅澤は出來ず。十四里の鎌倉へ、徹夜して行き、徹夜して歸りたることもありき。徹夜するのみならず、野宿したることもありき。或時、日は暮れかゝる、雨はふる、寒さ身を裂く、腹はペコ/\になる、薊山小便せむとするに兩手凍えて、自からズボンの釦を外すこと能はず、裸男代りて外してやりたることなどもありき。兩人とも當時盛んに遠足したればこそ、今日の元氣もあるなれと、裸男ひそかに鼻うごめかす。
義甥の鹽井健男、同西山巖夫、甥の政長、豚兒三人も加はり、總勢九十三人、午後九時を以て、千住大橋を發足す。
參謀本部測量五萬分の地圖に據りて見しに、大橋より粕壁町の入口まで七里十一町あり。例に因りて、裸男幹部となりて、一行に殿す。薊山もあり、畫家の岡本一平氏もあり、西村醉夢もあり。山神は之に加はらず、少し前の方を歩ける樣子なりき。
千住大橋より二里十二町にして、草加町の入口に達す。家竝の長さ十三町あり。町幅ひろく、宏壯なる家も少なからず。うつかり『さうか』と返事すれば、『さうかは千住の先だよ』と、よく江戸ツ兒の駄洒落云ふは、こゝの事也。蒲生に至りて、幹部の四人休息して、握飯を食ふ。裸男携へたる竹のステツキの栓を外し、先づ自から之を口にあてて、一口飮む。一同『何だ』と問ふ。『酒だ、飮み給へ』とて薊山に渡せば、『なる程酒だ』。一平氏も、醉夢も、『酒だ/\』。一同大いに喜んで、順次ステツキをまはして、飮み盡くす。これ裸男
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