大寺也。南の川崎大師、北の西新井大師、これ近郊に於ける眞言宗の二大寺也。されど、いかにも神聖清淨の地と思はるるは、奧澤の九品佛(淨土宗)と、谷原村の新高野山(眞言宗)と也。
關東は、源氏の故國とて、到る處、八幡宮多し。されど、八幡宮は、例の御利益なければ、どこも餘り繁昌せず。伊勢屋稻荷に犬の糞は、江戸に多きものに數へられけむ。やはり稻荷が八幡宮よりも多くして、且つ繁昌す。雜司ヶ谷の威光天(稻荷の佛化せる名)、王子の稻荷、砂村の疝氣稻荷を始めとし、稻荷は到る處に繁昌したりしが、近年、羽田の穴守稻荷、急に繁昌し始め、あらゆる稻荷の繁昌を、ひとりにて、しよつて立つの觀あり。十數年前には、沮洳蘆荻のみなりし地に、鑛泉宿、料理店、賣店、櫛比して、わざ/\電車も通ずるに至れり。なほ、古き社には、大宮の氷川神社(官幣大社)、府中の大國魂神社(官幣小社)あり。氷川神社は、林泉の美をひかへたり。一風かはれるは、矢口村の新田神社、新田義興を祀る。木下川藥師の留魂祠、勝海舟が西郷南洲の爲にたてたり。若林村の松陰神社、吉田松陰を祀る。其墓もあり、小塚原の刑場より移したるもの也。
明治の名士の墓は、多く青山
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