歩かざるべからず。天神峠の嶮さえあり。されど、塩谷温泉より登るに比ぶれば、遥に平易也。毎年大雪山に登るもの百人内外、忠別川を溯《さかのぼ》りて松山温泉に一宿し、次の日姿見の池の畔に野宿し、その次の日旭岳に登るだけにて、引返して松山温泉に再宿するなりと、嘉助氏いえり。それだけにては、大雪山の頂上の偉大なることも判らず、御花畑の豊富なることも判らざる也。羽衣滝も壮観なるが、他にその比なしとせず。層雲峡の絶景に比すべくもあらず。塩谷温泉の連中は、旭岳と羽衣滝とを閑却したるが、その代り層雲峡と北鎮岳とを窮めたり。この方が旭岳と羽衣滝とを窮むる者よりは、要領を得たりというべし。されど旭、北鎮、白雲の三岳に登らずんば、大雪山の頂を窮めたりとはいうべからず。羽衣滝も閑却すべからず。もしも層雲峡を閑却するならば、これ大雪の一半を見ざる也。
 在来大雪山に登るものは往復四日を費したるに、余はその二倍の日数を費したりしかば、思いがけずも、『北海タイムス』に、行方不明となれりと伝えられたり。旭川の有志、明日は捜索隊を出さむと騒げり。出張の途次、余を訪いたる甥《おい》の政利も、その隊に加わらむとせり。余無事に旭川に戻りて、甥は愁眉を開き、有志も安心せり。然《しか》るに余の郷里の新聞に転載し、なお筆を舞わして、多年登山に慣れたる人なれども、猿も木より落つということあれば、気遣わるるなりと付け加えたり。余に同腹の兄妹四人あり。二兄一姉死して、一姉なお郷里に存す。これを見て大《おおい》に驚き、打電して東京の家族に問い合わす。家族も驚きて、北海道の知人に打電せしが、家族は余の平生の登山ぶりを知りかつ余に関する新聞の虚報に慣れておれば、姉ほどには驚かずこの頃相知りたる北竜村の西島清太氏も驚き、わざわざ札幌に出でて、卜者に見てもらいしに、安全なりとの報を得たるも、なお未だ全く心を安んぜざりき。一片の虚報は、四方八方に心配を惹《ひ》き起せり。されど、真の事実世に卦ぜられて、余が月並の遊覧者に非《あら》ずして、登山に熱心にして徹底することが、世に明かになり、到る処、余を歓迎するの度を加え、登山に便宜を得ること多く、禍転じて福となりける也。



底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年11月14日第1刷発行
   2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「中央公論」
   1923(大正12)年4月
初出:「中央公論」
   1923(大正12)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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