むや行々子
女中來りて、『お誂へは』と問ふ。會計主任は居らず。呼び寄するも、手間取る次第なりとて、裸男專斷にて、鯉こく、鯉のあらひ、蒲燒、椀盛の四品を誂へたり。酒を早くと言ひおきしが、二人水より上り來りし頃には、酒至る。料理もおひ/\出づ。一本、二本、三本、四本に至りて、一同微醉す。『今一本如何、大藏大臣之を許すや否や』と云へば、十口坊首打傾く。『危し危し勘定して見よ』と、夜光命の言ふまゝに、勘定書取寄せたるが、げに危かりき。支拂つて仕舞へば、嚢中たゞ電車賃と國府臺までの舟賃とを餘すのみ。やれ/\、夜光命をして先見の明を贏ち得しめたり。
三 小岩不動の星下松
※[#「酉+它」、第4水準2−90−34]顏を川風に吹かせつゝ、長江の中流を下りて、栗市の渡場に上陸す。國府臺に上れば、掛茶屋の女、左右より呼び迎ふれども、嚢中餘裕なければ、唯※[#二の字点、1−2−22]佇立して、葛飾の平田を見渡し、三里の外、凌雲閣や、數百の煙突に代表せられたる東京を望む。臺に接して流るゝ小利根川の上下二三十町の間は、川身を見る。白帆になほ其の見えざる處をも見る。石棺の露出せる處に、里見廣次の墓と題する石塔を訪ひ、總寧寺の境内を過ぎ、右に兵營、左に練兵場を見て、國府臺を下り、市川の村はづれより市川橋を渡り、小岩驛より汽車に乘りて歸ることとしけるが、日なほ高ければ、小利根川の右岸を下ること凡そ十町、善養寺一名小岩不動に立寄りて、星下松《ほしくだりのまつ》を仰ぎ、影向松《やうがうのまつ》を撫す。前者は凡そ三抱へ、高く天を衝き、後者は地上より一二丈の處を横に擴がること、凡そ十間四方に及ぶ。二者を合せて、松の奇觀を窮めたり。裸男、幾度も來りて、この松を見たり。『どうだ、一觀の價あらむ』と云へば、いづれも『然り/\』といふ。『抑※[#二の字点、1−2−22]星下松といふ由來は、今より二百四五十年前、星此の松の梢に下り、光ること連夜、終に落ちて石となれるに基づく。かく星の下ることは、當時の住持賢融和尚の高徳の致す所なりと石碑に記されたり』と、裸男先達振つて説明すれば、『昔は星も馬鹿なりき』と、十口坊笑ふ。夜光命も笑ふ、裸男も笑ふ。一陣の薫風、松をゆすつて、松も亦笑ふに似たり。[#地から1字上げ](大正五年)
底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
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