川魚料理
大町桂月

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)諒《よ》めたり

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(例)※[#「酉+它」、第4水準2−90−34]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)諒《よ》めたり/\
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        一 五圓と十圓

裸男著述の爲に、南郊に籠城して、世間と絶縁すること、幾んど半年に及べり。其の間、何人にも面會せざりき。やつと脱稿して家に歸れば、誰よりも先きに、訪ひ來れるは、夜光命と十口坊と也。つもる話を歩きながらとて、打連れて池袋驛にいたる。『さて何處にか行かむ。池上方面にせむか』、二人答へず。『二子方面にせむか』、二人答へず。『八王子方面にせむか』、二人答へず。『大宮方面にせむか』、二人答へず。『柴又方面にせむか』と云へば、二人手を拍つて喜ぶ。諒《よ》めたり/\、花よりも團子、風景よりも料理、前年、時も同じ今頃、この三人に榎木小僧加はりて、柴又の川甚の川魚料理に舌鼓打ちたり。その味、今もなほ忘れざるものと見えたり。當時軍用金は僅に五圓、會計の名人なる榎木小僧引受けて、餘裕綽々たりき。今日の軍用金は十圓、十口坊會計の任に當る。『前は四人にて五圓、今日は三人にて十圓、如何に無能の十口坊とても、支拂に窮することは無かるべし』と云へば、『言ふにや及ぶ』と、十口坊氣張る。『危ないものなり』と、夜光命冷かす。
 山手線の電車に乘りて、上野驛に下り、市内電車にて本所押上まで行き、京成電車に乘換へて柴又に至る。帝釋天を一拜し、滾々涌き出づる清水を掬し、堂前に横はれる松を賞し、精巧を極めたる二天門を見上げたるが、敵は本能寺に在り。直ちに去つて川甚に至る。

        二 川甚の川魚料理

初夏の天、さまで暑くもなきに、河童の申し子にや、夜光命と十口坊とは、川を見れば、泳がずに居られず。水に臨める一亭に通さるゝより早く、輜重の任をも打忘れて、水に入る。裸男ひとり欄に凭る。一道の小利根川溶々として流る。國府臺、下流に鬱蒼たり。蘆荻風に戰ぎて、行々子鳴きかはす。大帆小帆列を爲して上り來たる。水郷初夏の風致、人をして超世の思ひあらしむ。駄句りて曰く、
[#天から2字下げ]九端帆の風を孕
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