、追風のかをるに、腸を斷つ思ひせられて、遲々として歩む程に、磯の竇道に來りぬ。こゝを過ぐれば、杉田はまた見えじと思へば、一たび後ろを顧みて進みしが、また穴の口に戻り、戻りつ、行きつ、はてしなければ、遂に思ひさだめて立ち去る。杉田は遂に山外に隔たりぬ。
 既に太牢の味に飽きたれど、昨夜の宿に風呂なく、料理も亦惡しかりしかば、今日は池上の鑛泉に一浴し、兼ねて午食せむと、雨江のいふに、余も同意して、川崎より汽車を下り、道に小向井の梅を見る。もとは梅園三つありしが、前年醒雪と來りし時は、二箇處となり、今年はまた一箇所となれり。入るに門なく、園に垣なく、直ちに麥畝に接するは、東京近傍の諸梅園と異なりて、風致あり。樹も亦太だ惡しからず。たゞ花未だ半開にだに及ばざりしは、いたく慊らぬ心地せり。六郷川をわたり、原村の立春梅は閑却して、新田神社の前を過ぎて、池上村に來り、鑛泉松葉館に至りて、浴し、酒し飯し、腹と共に、昨日來の望みも滿ち、醉脚蹣跚として、大森の停車場に來り、茶店に憩ふほどに、乘客非常に多く、わざ/\杉田より折り來りし梅枝、いと大なれば、或ひは汽車の中に持ちゆくこと難く、持ちゆくも、人込の爲に、あたら花を散らされては甲斐なしとて、宿の主婦の花ほしげなるを幸に、之に與へて、遂に全く花と別れぬ。その移香は、いづくまでか薫りけむ。[#地から1字上げ](明治三十一年)



底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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