、籬外溪畔、疎影暗香の觀ある吉野村、梅園村などの梅を取らむか。
梅花の觀終りて、日猶ほ高し。臨風は舊遊の夢の名殘やしのばれけむ、これより土浦にもどりて一宿せむと言ひ出でたれど、余は那珂川を下りて大洗に一宿する方が、紀行の種も多くなりて面白かるべしと云ふ程に、崖下の汽笛頻に客を呼ぶ。さらばあの舟にとて、走りゆきて、湊町通ひの小蒸氣にのりぬ。行程凡そ三里、春水溶々として平らかなり。兩岸は麥ばたけ、こんもりしたる木立など相接し、その間にをり/\茅屋を點す。柴門の外の雁木にうつぶきて、水に纎手をひたせる少女は、澤につみたる根芹洗ふにやあらむ。堤上に舟と竝行せし行人、いつしか後になりて、はては寸大となりて霞の中に消ゆるもをかし。那珂川の海に朝する處、女波男波の雪をくづして川流とたゝかふ處、長橋波に俯して、湊町と祝町とを連絡す。こゝにて舟をすてて、祝町に上る。こゝは湊町をはなれて、別に一郭をなし、酒樓、娼樓、屹として海邊に立ちならべり。半里ばかり砂地を歩みて、大洗につきたる頃は、日はたそがれに近かりき。金波樓に投ず。
磯前祠の下、直ちに海波に俯せる三階の上の、眺望定めておもしろかるべけれど、暮色既に太平洋上にみち渡りぬ。沖のくらきに漁火も見えず、惡魔の襲ひ來るばかりに凄き暗風、面を吹いて、氣持よからざるに、三年前に一見のなじみありし風光を、雨戸の外に閑却して、一浴し來れば、洋燈の光明に、隣席のつれこみのさゝめごと、しめやかなり。天隨、蝶二、いづれも酒場の剛の者なり。今宵一夜はこゝに飮みあかさむといきまきて、膳の來たるをおそしと盃とりあげしに、いづれも一と口にして杯を投じて苦顰す。酒惡しくして飮むべからざるなり。如何に『薄々酒優[#二]茶湯[#一]』の古詩を吟ずるも、遂に忍ぶ能はず。せめて處柄の磯節を聞かむとて、校書二人ばかり呼びぬ。都のうぶらしけれど、琵琶の女になずらふべくもあらねば、われらもまた江州の司馬にもあらず。程近き磯濱か、祝町かに一寸走りゆけば、たやすく得らるべき酒を、宿の者ぶしやうして買ひ來らむともせざるに、一同祝町に赴きて飮み直さむと一決す。天氣は如何にと窓を推せば、物すごく、暗き空に時ならぬ白雪紛々として降り來れり。この雪にと弱音を叶くものありて、車をと言ひ出だしたれど、四臺まではそろはず。さらばいざ雪見にころぶ處までと、宿の提燈かりて、闇を衝き雪を衝きて徒
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