に六箇の妓樓あり。旅館はわづかに三戸に過ぎず。春の日永の晝寢にもあきたるにや、遊女二三人、紐帶のしどけなき姿して樓前に草摘むも、山なればこそ。即興一句を賦す。
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のどけさや傾城草つむ山の上
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 三軒の旅館、江戸屋尤も大なれども、結束屋眺望尤も好し。結束に小憩して、まづ女體山の道を取る。祠前に掛茶屋の老爺、余等を呼びとめて、拜殿より左へ男體山に上りて、女體山より下らるゝが順路なりといふ。その老實なる心ばかりは汲みたれど、戯れに、女の方が善いと笑ひすてて上る。半分ばかり上りたらむと思ふ處に、忽ち頭上に嬌聲あり。云ひし言葉はわからねど、鋭く耳に徹す。筑波の女神の影向にやと、仰ぎ見れば、美婦、岩頭に立てり。傍に掛茶屋あり。『休んで行け』といふ。休みてまた上る。今一つ掛茶屋あり、こゝには老夫と少女と二人あり。是より峯脈をつたうて女體山に至る迄、八九町の間、巨巖磊々として、一々其名あり。曰く、天の岩戸扇石、一名辨慶七戻り、高天の原、紫雲石、天の岩戸胎内潜り、國割石、神樂石、大黒石、北斗石、寶珠石、大神石など是れなり。木橋あり、天の浮橋といふ。皆馬鹿げたる名なり。其中にて、出船入船と名付けたるは、稍※[#二の字点、1−2−22]氣の利きたる名づけ方也。二石相竝んで、其形巨船の如く、舳艫相反せり。其傍に高さ一丈、大いさこれに稱ひたる錨あり。出船入船より思ひつきたる洒落なるべし。國割石の上より、北に足穗、加波の連山を見下し、峯上を西に下れば、女體、寶珠の二峯、突兀として天を摩すと見る間に、白雲飛び來て、寶珠嶽を呑み、將に女體峯を襲はむとす。やがて寶珠嶽に上れば、雲は今女體を包みて、山下八州の野、手に取る如く見えしが、忽ちにして、白雲また下より涌き來りて、全く下界を封じぬ。人は雲と共に動きて、遂に女體山に上る。この峯、海を拔くこと、八百七十六メートル、男體よりも六メートル高し。峯上數武の地あり。小祠を安んず。見る/\雲は重なり來りて、咫尺辨ぜず。天風倒まに我衣を吹いて、天人我に※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]くの心地す。一句を作る。
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我れ獨り空に殘りし霞かな
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 女體山の上には、伊邪那美命を祭り、男體山の上には伊邪那岐命を祭る。其他、天照大神を始めとし、諸神を祭れる小祠相接し、その數
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