小田に居る。三楽は程近き片野に在りて日夜工夫をこらせど、如何せむ。敵の城はかたく、我兵は少なし。唯々小田天庵は毎年大晦日に、年忘とて連歌の会を催し、酒宴暁に至るを定例とせり。三楽之を聞き知りて、乗ずべきは此時なりと勇みぬ。されど、手兵のみにては不足也。茲《ここ》に真壁掃部助と言ひあはせて、一の窮策を案じ出だせり。小田の重臣に内応するものあり、乗ずべしとて、佐竹方や多賀方の豪傑どもを招き、その内応の手紙さへ示したるに、豪傑ども、三楽に加勢することを諾す。然るに愈々《いよいよ》小田城に押しよせて見れば、一向内応の模様なし。諸将こは如何にと怪しめば、実は内応ありたるに非ず。手紙も、にせ手紙也。唯々連歌の酒宴ある夜なれば、内応にもまして都合よし。願はくは一臂《いっぴ》の力をかされよといふ。これも一理あり。今更ぐず/\言ひても仕方なしとて、一呼して城を抜きたり。その後、天庵は一度小田城をとりかへしたるが、再び三楽に取られたり。かゝる程に、大敵外よりあらはれ、北条氏は秀吉の為に亡ぼされたり。かくて、三楽の宿志は、思ひがけずも、秀吉によりて達せられたるが、三楽其人は、あくまでも不運の英雄なりき。北条
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