に四つ手小屋多し。漁期にあらぬにや、小屋には人なくして、四つ手網むなしく空に懸れり。また松川浦上の好風致也。漸くにして漁家のならべる岸に達す。曰く、これ松川浦也。曲折してひろがれる松川灣、ここより幅數間、長さ四五十間ばかりの川形をなして、海に接す。曰く、飛島の湊也。湊と云へど、わづかに小なる漁舟を通ずるばかりの處也。この灣口の北を扼せる一帶の岡を水莖山といひ、水莖山の最端を鵜の尾岬といふ。舟を下りて、陸に上れば、夕顏觀音あり。觀音堂後をめぐりて、鵜の尾岬にいたる。松川浦の全景、悉く眼前に在り。長汀曲浦の觀、つぶさに其の美をつくせり。屏風の如く立ちかこめる磐城の山々、或ひは遠く、或ひは近く、秀色を送りて、一層の趣を添ふ。島の奇なることは、松島にくらぶべくもあらねど、屏風の如き山々と、長汀曲浦の觀とは、或ひは勝るとも劣らざるを覺ゆ。
舟を回し、松川の漁村を右に見て、原釜の方に向へば、陸より少し離れて、文字島ばかりの大きさの島あり。曰く離崎也。離崎、鵜の尾岬、水莖山、松川浦、長洲の磯、鶴巣野、梅川、松沼濱、沖が島、文字島、紅葉の岡、川添の森、これ松川浦の十二景とする所なれども、さばかりの景致あるにあらず。
水淺き浦とて、貝を拾ふもの多し。玩具のくゝり猿の如き樣して、水に俯する母の背に負はれたる赤兒、泣いてやまざるも、母は之を懷くひまなし。乳ほしきものをとあはれ也。
浦を一周して、もと舟出せし處に來たる。松川浦の遊觀、こゝに終れり。余はこれより中村にかへらむとて、舟夫を宿にやりて、荷物をとり來らしむ。待つ間の退屈まぎれに、舟を棹さむとするに、まがり/\て、すゝまず。げに櫓三日、棹三年と云ひけむ、舟夫になるも、容易なる事にあらずと獨り笑ひき。[#地から1字上げ](明治四十年)
底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
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