んの數人の工人がこつ/\働けるさまにて、いつ出來上ることやら、一見人をして氣の毒の念に堪へざらしむ。木標には、帝國女子大學とありて、校舍には帝國女子專門學校とせざるを得ざる事情を聞けば、益※[#二の字点、1−2−22]氣の毒に思はるゝ也。
設立者は、誰あらう、もと國光社を創めて、國粹發揮を唱へ、「國光」「女鑑」などを發行して、世に其名を知られたる西澤之助氏也。後ち國光社は、教科書肆となり、印刷所となりしが、西氏は轉じて、帝國高等女學校を創めて、今日に至れり。氏は更に帝國女子大學をも創めむと多年苦心の結果、漸く成立せむとせしに、文部省に否認せられたり。さてこそ、女子大學と名乘る能はずして、女子專門學校と名乘れる也。
何故に文部省が否認したるかは、われ知らず。唯※[#二の字点、1−2−22]大學としての設備が不十分なりしなるべく、設備の不十分なるは、資金の不足なるに因るなるべしぐらゐに想像せらるゝ也。さる教育家の話を聞くに、この頃は、女子の高等教育は、數年前のやうには振はず。そは地方の富豪の嗣兒は、中等教育の程度に止まれるに、高等教育を受けたる女子では釣合が取れず、爲に嫁し難き事情ある
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