れども、山頂に平地あるは、關西にては、ひとり高野山あるのみ。關東にては、ひとり鹿野山あるのみ。品川灣頭に出でて見よ。海の彼方に見ゆる山の中にて最も大いに、最も高きが、即ち鹿野山也。直徑十三里もあるべし。鹿野山上より東京の方を望むに、深川の諸烟突より出づる數十百條の烟うす黒く見ゆ。其中に唯※[#二の字点、1−2−22]一つ一抹の白烟の帝都の空に搖曳せるあり。雲か、雲に非ず。波か、波に非ず。之を土地の人に問ふに、皆知らず。一學生あり。曰く、これ淺野セメント會社の烟突より出づる石灰抹の飛散せるなり。東京に居りては見えざれど、羽田にゆけば見ゆるなりと。
神野寺を中心として、五六十の人家東西に連なりて、小市街を爲す。東を下町、一に閼伽井町と稱し、西を上町、一に箕輪と稱す。箕輪町に四五軒の旅館あり。眺望開く。下町は眺望開けず。砂地にして、兩側に茅屋竝ぶ。海邊の村落かとばかり思はれて、山上に在る心地はせざる也。神野寺は聖徳太子の草創と稱す。今眞言宗新義派の智山派に屬す。上總第一の大伽藍也。十間四方の本堂、仁王門をひかへ、觀音堂をひかへ、一切經藏をひかへ、鐘樓をひかへて、老杉の森の中に、燦然として光る。左甚五郎の作と稱する門を入れば、客殿宏壯にして、青苔地に滿つ。客殿の後ろに方丈あり。築山をひかへ老杉に圍まれて、瀟洒にして間寂、別天地中の別天地也。寺の執事楠純隆氏、文を善くす。余を遇すること厚し。われ方丈に起臥して日を經るまゝに、末の子の四郎の五歳になれるが、余を慕ひて、母と共に山に登り來たる。大正の石童丸は、母と共に父に逢へるなりと一笑す。
三 演説會
鹿野山小學校の校長鴇田鹿鳴に要せられて、校舍に演説す。その晩、共に大塚屋の樓上に飮む。われ一絶を作つて曰く、
[#天から2字下げ]天風一陣氣如[#レ]秋。人在[#二]峯頭百尺樓[#一]。笑把[#二]巨杯[#一]澆[#二]磊塊[#一]。酒香吹散十三州。
鹿鳴次韻して曰く、
[#天から2字下げ]占得人間以外秋。胸襟披盡醉[#二]高樓[#一]。風流今夜凌[#二]千古[#一]。笑見十三州又州。
鹿野山の東北麓なる小絲村の青年會より請はれて、往いて演説す。戯れに俗謠を作つて曰く、
[#ここから2字下げ]
小絲言はれて斷られうか
儂の思ひも鹿野山
[#ここで字下げ終わり]
鎌田善一郎、松崎長治の二氏來り請ひ、當日
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