たるが、今はじめて、實際見て、その妙趣を知りぬ。『水明』とは、言ひ得て妙なるかなと、ひそかに感歎す。何處やらにて、伯勞鳴く。きび/\して、氣持よき聲也。
 余の思ひは、四百年の昔に馳せぬ。里見氏は、前後二度こゝにて北條と戰ひて、二度とも大敗せり。敗れたるが故に、云ふに非ず。こゝは、守るには不利なる地也。鎌倉の如きも、三方は山に圍まれ、一方は海に面して、要害のやうなるが、實は要害にあらず。前北條氏の末路以來、鎌倉に據りしものは、前後何人となく、みな破られたり。鎌倉は、守り口、七つもあり。多くの兵を要す。もしも一つの口が破れしならば、本營は、忽ち嚢中の鼠となる也。將棋さすにも、王を一方にとぢこもらせて、金將、桂馬、香車、二三の兵にて守れば、一寸完全なるやうなるも、こは、案外に、もろく敗る。それよりも、王を中央において、まさかの時は、どちらへでも、にぐるやうにするが、却つて安全也。鎌倉に據るは、この王が一隅にとぢこもるが如き也。國府臺は、鎌倉と異なりて、一方に小利根川をひかへたる武總平原中間の岡なり。房總の里見が武相の北條と戰ふには、必ず據りさうな處也。前に小利根川あるは、都合よきやうなれど、この川は、上流下流、どこからでも渡りよき川也。岡があまりに、だゝ廣く且つ低くして、何處からでも上るべし。要害の地にはあらざる也。
 はじめの戰は、一方は、足利義明が主にして、里見義堯、其子義弘、之に副たり。一方は、北條氏綱、其子氏康が大將也。この時、北條勝ちて、義明戰死し、義堯、義弘は敗走せり。後の戰は、一方は義弘が主にして、太田三樂齋、之に副たり。張本人は、太田新六郎也。一方は北條氏康、其子氏政が大將也。
 前戰は略して、後戰をしるさむに、太田新六郎は、太田道灌の子孫也。身のたけ、六尺に餘り、力三十人を兼ねたる剛勇無雙の士也。江戸城主遠山丹波守の女婿となり、江戸城に同じく住み、共に北條氏の麾下に屬しけるが、滿腔の野心、人の下に立つを甘んずべくもあらず。謀戰を企つ。あらはる。にげて、同族なる岩槻の太田三樂齋に據り、共に里見義弘をかつぎて、こゝに國府臺合戰を起しける也。
 わが女婿が謀叛したりとありては、遠山丹波守は、北條氏に對して、相すまず。殊に、其城、敵に近し。葛西の富永四郎左衞門は、なほ更近し。二將、相謂つて曰く、人に先を驅けられては、屍の上の恥辱なりと。この『屍の上の恥辱』の語
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