にも亜太郎が東室で変死したかの如く装わした、としか考えられなくなる。すると亜太郎の屍体を運んだり、そのようないかがわしい装いを凝らしたのはいったい誰れか? と開き直る前に当然警官達の疑惑は、事件の当時ずっと南室にいたと云う亜太郎の妻不二の上へ落ちて行った。
不二は怪しい。
川口不二の陳述に嘘はないか?
亜太郎が南室で殺された時に、その妻の不二はいったい南室《そこ》でなにをしていたのか?
そこで肥《ふと》っちょの司法主任は、もう一度改めて厳重な訊問のやり直しを始めた。
ところが二度目の訊問に於ても、川口不二の陳述は最初のそれと少しも違わなかった。続いてなされた金剛蜻治も別荘番の戸田夫婦も、やはり同じように前回と変りはなかった。それどころか金剛と戸田安吉は、川口不二が事件の起きた当時、確かに南室を離れずに頻《しきり》に窓際で荷物の整理をしていたのを、一人は裏庭の浴室の湯にひたりながら、一人はその浴室の裏の広場で薪を割りながら、二階の大きな窓越しに見ていたと云い合わせたように力説した。そして暫くしてその姿が急に見えなくなったかと思うと、直《すぐ》に再び現われて下にいた自分達に大声で亜太郎の死を知らせたのだと戸田がつけ加えた。すると川口不二は、荷物の整理をしながら亜太郎を殴り殺す位の余裕は持てたとしても、とてもその屍体を折曲がった廊下を隔てて隣りの東室へ運び込み、あまつさえ写生の道具などをも運んで贋《にせ》の現場を作り上げるなどと云う余裕は持てないことになる。けれどもこれとても二人の証人の云う事を頭から信じてしまう必要はない。仮に信用するとしても、湯にひたったり薪を割りながら、少しも眼を離さずに二階ばかり見ていたなどと云うことがありよう筈はない。では、ひとまず仮りに不二を潔白であったとすれば、いったい誰れが亜太郎を殺して運んだのか? 不二と亜太郎の以外に、もう一人の人物が二階にいたと考える事は出来ない?
司法主任はウンザリしたように、椅子に腰を下ろしながら不二へ云った。
「奥さん。もう一度伺いますが、あなたが南室で荷物の整理をしていられた時に、御主人は、あなたと同じ南室で、絵を描いていられなかったですか?」
「主人は南室などにいませんでした。そんな筈はありません」
「では、廊下へ通じる南室の扉《ドア》は開いていましたか?」
「開いていました」
「廊下に御主人はいませんでしたか?」
「いませんでした」
「御主人以外の誰れか」
「誰れもいません」
「ははア」
司法主任は割に落付きすました美しい不二の眼隈《めくま》の辺《あたり》を見詰めながら、これでこの女が嘘をついているとすればまるッきりなんのことはない、と思った。そして決心したように立上ると、参考人と云う名目で、金剛と不二の二人を連行して、本署へ引挙げることにした。
苦り切って一行に従った金剛蜻治は、警察署のある町まで来ると、昨日東京を発った時に見送ってくれた別荘主の津田白亭に、まだ礼状の出してなかったことに気がついた。そこで郵便局へ寄途《よりみち》して礼状ならぬ事件突発の長い電報を打った。
白亭からは、いつまで待っても電報の返事は来なかった。が、その代り、その日の暮近くになって、白亭自身、一人の紳士を連れて蒼徨《そうこう》としてやって来た。紳士と云うのは、白亭とは中学時代の同窓で、いまは錚々《そうそう》たる刑事弁護士の大月対次《おおつきたいじ》だ。愛弟子《まなでし》の変死と聞いて少からず驚いた白亭が、多忙の中を無理にも頼んで連れて来たものであろう。
やがて二人は司法室に出頭して、主任から詳細な事件の顛末を報告された。けれども話が亜太郎の描き残した疑問の絵のところまで来ると、何故《なぜ》か白亭はハッとして見る見る顔色を変えると、眉根に皺を寄せて妙に苦り切ってしまった。
三
司法主任は流石《さすが》に白亭の微妙な変化を見逃さなかった。
事件の報告は急転して、猛烈な、陰険な追求が始まった。が、白亭も流石に人物だ。あれこれと取り繕《つく》ろって、執拗な主任の追求を飜《ひるがえ》すようにしていたが、けれども、とうとう力尽きて、語り出した。
「……どうかこのことは、死んだ者にとっても、生きている者にとっても、大変不名誉なことですから、是非とも此処だけの話にして置いて下さい。……川口と金剛とは、二人とも十年程前から私が世話をしていますので、私共と二人の家庭とは、大変親しくしていましたが、……これは最近、私の家内が、知ったのですが……川口の細君の不二さんと、金剛とは、どうも……どうも、ま、手ッ取早く云えば、面白くない関係にある、らしいんです。で大変私共も気を揉《も》んだのですが、当の川口は、あの通りの非常な勉強家でして、仕事にばかり没頭していて、サッパリ
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