《ゆきき》しながら、終日大月は考え続けた。けれども一向曙光は見えない。
翌日は、別荘番の老夫婦を、改めてひそかに観察してみた。が、これとても何の得るところもなく終った。
大月の巧妙な束縛を受けて、鎖のない囚人のように岳陰荘にとどめられた金剛はと云えば、割に平気で、時々附近の林の中へ出掛けては、なにかと写生して来たりしていた。けれどもその絵を見ると、それはこの地方が地形上特に曇天の日の多いせいか、大体は金剛の画風にもよるであろうが、いやに陰気で、妙にじめじめした感情が画面に盛り上っているのだ。大月はその度に、画家と云うものの神経を疑いたくなった。
次の日の午後、来合わせた警官から、東京に於ける亜太郎の解剖の結果を聞かされた。けれどもそれは、先に挙げた平凡な後頭部の打撲による脳震盪が死因であると云う以外に、変ったニュースは齎《もたら》されなかった。そして大月は、ふと犯人が亜太郎を殴りつけた鈍器を探すことを思いついて、二階へ上っていった。
けれどもこの仕事はなかなか六ヶ敷かった。亜太郎の後頭部は、兇器に判然と附着するほど出血したのでもなければ、また兇器の何たるかを示す程の骨折をしたのでもない。この場合恐らくステッキでも棍棒でも、又花瓶でも木箱でも兇器となり得る。――大月弁護士は日暮時まで、二階の床をコツコツと鳴らし続けていた。
が、やがてどうしたことか急に階段を降りて来ると、別荘番の戸田を大声で呼びつけた。そして頻《しきり》に首を傾《か》しげながら、
「……妙だ……」
「……妙だ……」
と呟きはじめた。
が、やがて安吉老人がやって来ると、幾分|顫《ふる》えを帯びた声で、
「おい君、変なことを訊くがね……二階の東室の窓から、三十|間《けん》程向うに、一寸した木立が見えるだろう?」
「はい」
と安吉老人は恐る恐る答えた。
すると、
「あの木立は、今日、他所《よそ》の木と植替えたのかね?」
「そ、そんな馬鹿な筈はありません。第一、旦那様」と安吉は目を瞠《みは》りながら「あれだけのものを植替えるなんて、とても一日や二日で出来ることではありません」
「ふうム……妙だ」
「ど、どうかいたしましたか? 木でもなくなったんですか?」
「違う……いや確かに妙だ。……時に金剛さんは何処にいる?」
「只今、お風呂でございます」
「そうか」
大月はそのまま二階へ上ってしまった。
四
その翌日は珍しく上天気だった。
司法主任を先頭にして数名の警官達がこれでもう何度目かの兇器の捜査にやって来た。
大月にまでも援助を申出た彼等は、二階の洋服箪笥の隅から階下の台所の流しの下まで、所謂警察式捜査法でバタリピシャリと虱潰《しらみつぶ》しにやり始めた。
が、今日は殆ど一日かかって、午後の四時頃、とうとう司法主任は歓声を上げた。それは、もういままでに何度も何度も手に取って見ていた筈の、事件の当時亜太郎の屍体の側に転がっていた細長い一個の絵具箱であった。
慧眼の司法主任は、ついにこの頑丈な木箱の金具のついた隅の方に、はしなくも一点の針で突いたような血痕を発見したのだ。
主任は、岳陰荘を引挙げながら、勝誇ったように大月へ云った。
「どうやらこれで物的証拠も出来上ったようですな」
弁護士は軽く笑って受け流した。
けれどもやがて一行が引挙げてしまうと、なに思ったのか大月はさっさと二階へ上っていった。そして東室の窓を開けると、手摺に腰掛けて、阿呆のように外の景色に見惚《みと》れはじめた。
いつ見ても、晴れた日の樹海の景色は美しい。細かな、柔かな無数の起伏を広々と涯《はて》しもなく押し拡げて、彼方には箱根山が、今日もまた狭霧《さぎり》にすっぽりと包まれて、深々と眠っていた。
裏庭の広場からは、薪を割る安吉老人の斧の音が、いつもながら冴え冴えと響きはじめ、やがて静かな宵闇が、あたりの木陰にひたひたと這い寄って来る。浴室の煙突からは、白い煙が立上り、薪割りをしながら湯槽《ゆぶね》の金剛と交しているらしい安吉老人の話声が、ボソボソと呟くように続く。おとみ婆さんは、夕餉《ゆうげ》の仕度に忙しい。
間もなく岳陰荘では、ささやかな食事がはじまった。が、大月弁護士はまだ二階から降りて来ない。心配したおとみ婆さんが、階段を登りはじめた。と、重い足音がして、大月が降りて来た。
けれどもやがて食卓についた彼の顔色を見て、おとみ婆さんは再び心配を始めた。
僅か一時間ばかりの間に、二階から降りて来た大月は、まるで人が変ったようになっていた。血色は優れず、両の眼玉は、あり得べからざるものの姿でも見た人のように、空《うつ》ろに見開かれて、食器をとる手は、内心の亢奮を包み切れずか絶えず小刻《こきざみ》に顫えていた。
大月は黙ってそそくさと食事
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