、『そいつはなんかの間違いだ。釧路丸は、いまは根室附近になぞおりません』と云うようなことを、答えたんだそうだよ」
「ふム、成る程。あの大将、なかなかの剛腹者だからな……それで、いったい釧路丸は、どっちの方面へ出漁《で》ているって云ったんかね?」
「うんそれが、なんでも朝鮮沖の、欝陵島《うつりょうとう》の根拠地へ出張《でば》ってるんだそうだ。成る程あそこは、ナガス鯨の本場だからな」
「ヘエー? だがそれにしても、欝陵島とは、大分方角が違っとるね」
「いや、とにかくそれで」と丸辰は手の甲でやたらに口ばたをコスリながら、「もうその時署長は、どうも岩倉の大将の云うことは、おかしいなとは思ったんだが、どの途《みち》その場ではケジメもつけかねて、まず一応引きあげた。引挙げてそれから直ぐに、欝陵島のほうへ電信を打った。岩倉の大将の云ったことは本当か嘘か、いや嘘には違いなかろうが、そこんとこに何かごまかしがありはしないか、それが嘘だと云う証拠を握らねばと云うので、抜からず調べて貰った。返事は向うの警察から直ぐにやって来た。ところがどうだい、まず大将の云うように、岩倉会社の釧路丸は、当地を根拠地にして、一ヶ月ほど前から来とることは確かだ、が、しかし、今はいない。三日ほど前から出漁中で、まだ帰っていないってんだよ。いいかい、つまり事件のあった昨日《きのう》の前々日から、向うの根拠地を出漁したと云うんだぜ。出漁したんだから広い海へ出たんだ。どこの海でどんな風にして捕鯨をしとったか、果してあそこらの海でうろうろ鯨を追っていたのかどうか、さアそいつは誰も見ていた人はないんだから、流石《さすが》の岩倉社長も証明することは出来ないよ」
「いよいよ怪しいな」
「うン、怪しいのはそれだけじゃアない。問題はその釧路丸が、事件のあった昨晩、海霧《ガス》の深い根室《ここ》の港へやって来て、それも人目を忍ぶようにしてこっそり沖合にとまっていたと云うんだから、こいつア変テコだろう。おまけに、その釧路丸の調査について、署長の訪問を受けた岩倉の大将が、サッと顔色を変えて、妙にうろたえはじめたってんだから、いよいよ以ってケッタイさ。つまり岩倉の大将も、釧路丸は日本海にいるなんて云って、根室へこっそり帰って来たことは、出来るだけ隠したい気持なんだ。こいつが、警察の見込みを、すっかり悪くしてしまった」
「そりゃそうだろう」と亭主は身をそらして腕を組みながら、「そんな風じゃ、岩倉の見込みの悪くなるのも、ムリはないな……どうもこいつア、成る程大きな事件になりそうだな。なに[#「なに」に傍点]かがあるぜ。そこんとこに……」
「うン大有りだ。確かになに[#「なに」に傍点]かがある……どうも、俺の思うには、あの北海丸が沈んだ時に、生き残った砲手の安吉が、いったいどうして釧路丸なんかに乗り込んでたか、ってのがまず問題だと思うよ……むろん俺は安吉が、大ッぴらで釧路丸に乗ってたのなんか、見たことアないが、昨夜、安吉を殺した釧路丸の船長《マスター》が、代りの砲手を雇って消えたってんだから、いままで安吉は、釧路丸に乗り込んでいたってことに、ま、理窟がそうなる」
「待ちなよ……」とこの時亭主は首を傾《かし》げながら、「あの北海丸が沈んだ時に、一番先に駈けつけたのが釧路丸だったんだから……そうだ。安吉は、運よく釧路丸に救い上げられたんじゃアないかな?」
 すると今まで、気の抜けたようにボンヤリして、二人の話を聞いていた安吉の妻が、顔を上げて云った。
「お前さん。それならなぜ安吉は、直ぐその時に、救けられたって、喜んで帰ってくれなかったのさ」
「う、そこんとこだよ」と丸辰が弾んで云った。「救けられても、直ぐに帰って来なかったと云うんだから、俺ア、そこんとこに、なに[#「なに」に傍点]かこみ入った事情があると思うんだ。帰って来たくなかったのか……それとも、帰りたくても帰れなかったのか?」
「まさか、監禁されてたわけでも……」と亭主は不意に顔色を変えて、「おい、とっつあん。……北海丸は、どうして、何が原因で沈んだんだったかな?」
「え? なんだって?」と丸辰は、顔をしかめて暫く考え込んだが、「……まさか、お前は、釧路丸が故意に北海丸を……いや、なんだか気味の悪い話になって来たぞ……こいつアやっぱり、鯨の祟りが……」
 そう云って、ふと口を噤《つぐ》んでしまった。
 表扉を開けて、若いマドロスが二人はいって来た。椅子について顎をしゃくった。安吉の妻が煩わしそうに立上って、奥へはいってしまうと、亭主は起直って、客のほうへ酒を持って行った。
「しかし、とっつあん。どうして又お前さんは、そんなに詳しく警察のほうの事情が判ったんだい?」
 再び元の席へ帰って来た亭主は、調子を改めてそう云った。すると丸辰は、思いついたよ
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