ひらめかして、大きく円を描きながら消え去って行った。消え去って行ったのだがやがてまた今度は左の方に舞い戻り、舞い戻ったかと思うと戻り詰めずに再び沖合へ……
 釧路丸は、もうとっくの昔に錨を抜いていたのだ。

          四

「おい、美代《みよ》公。元気を出せよ」
 翌《あく》る日の午下《ひるさが》り。夜でさえまともには見られない疲れ切ったその酒場へ、のっそりとやって来た丸辰の親爺は、そこの片隅で、睡《ね》不足の眼を赤く濁らせ、前をはだけて子供に乳を飲ませながらしょげ込んでいた安吉の妻へ、そう云って笑いながら声をかけた。
「まア、悪い夢でも見たと思って、諦めるんだぜ」
 けれども、女が黙り込んでそれに答えないと、いままでカウンターに肱を突いて、女と話し込んでいたらしい酒場《みせ》の亭主のほうへ、向き直りながら話しかけた。
「昨夜《ゆんべ》の、水上署の大|縮尻《しくじり》を、見ていたかい。沖でグルグルどうどうめぐりよ。見てるほうで気が揉めたくらいだった。……いやしかし、どうもこいつア、思ったよりも大きな事件になるらしいぜ」
「いったい、どうなったんかね?」
 亭主が乗出して来ると、丸辰は例のガタ椅子を引寄せて腰掛けながら、
「まんまと釧路丸に逃げられて、今度は、各地の監視船へ電信を打ったんだ。つまり、みつけ次第釧路丸をひっつかまえるように、頼んだわけさ」
「ほウ、水上署から、水産局の監視船へ、事件が移牒《うつ》されたってわけだね?」
 亭主が不精髯をなで廻した。
「うン、まアそんなこったろ……だが、なんしろ海は広いんだから、まだみつからない……ところが、一方そうして監視船に海のほうを頼んだ警察は、それから直ぐに、岩倉さんの事務所を叩き起したんだ。ところが、宿直の若僧が寝呆けていてサッパリはか[#「はか」に傍点]が行かないと、業を煮やして、今度は署長が自身乗り出して、社長邸へ乗り込んで、岩倉さんにジカに面会を申込んだわけさ……ここまでは、まずいい。ところがここから先が、面倒なことになったんだ。と云うのは、なんでも岩倉の大将、ことが面倒だとでも察したのか、頭が痛むとかなんとか云って、逃げたがったんだそうだ。が、まアしかし、結局|行会《ゆきあ》って、署長から、これこれ云々《しかじか》と一部始終を聞き終ると、どうしたことかサッと顔色を変えて、なんだか妙にうろたえながら
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