ねて尋ねた。
「なにてのひら……うん、小使にも細君にも、胼胝《たこ》などは出来ていなかったよ」
「じゃあ、やっぱり妖怪の……」
「いや、まあ待ちたまえ……ぼくはそれから、そのお隣の風間さんの官舎へ、ちょっと失礼して上らしてもらったんだ、もちろん娘さんに逢《あ》うつもりでね……そしてそこで、大発見をした!」
「大発見? じゃあ、寝ている娘のミドリさんのてのひらに胼胝でもあったんですか?」
「いいや、違う。それどころじゃあない」
「すると娘さんの身に、何か異変でも?」
「冗談じゃあないよ。ぼくはてんから[#「てんから」に傍点]娘さんなど見はしない。彼女は、どこの部屋にもいやしなかった」
「ミドリさんがいなかったですって!?[#「!?」は第3水準1−8−78、117−3]」
 三田村技手が聞きとがめた。すると東屋氏は、うす暗い蝋燭《ろうそく》の灯に、大きな自分の影法師をニュッとのめら[#「のめら」に傍点]しながら、
「うん、そのかわり、さっき老人がここで見たという……あの赤いグニャグニャの幽霊に出会ったよ!」

       五

 やがて東屋氏は、驚いているわたしを尻目《しりめ》にかけ、三田村技手へあらたまった調子で言った。
「ところで三田村さん。あなたは事件のあった直後にここへ登って来られたとき、階段の途中で風間さんに逢われたのでしたね。風間さんは、何か手に持っていませんでしたか?」
「……そういえば、洋服の上着を脱いで、こう、右手に持っていられました」
「なるほど。有難う。じゃあもう一つ訊かせて下さい。あの娘さんは、何歳《いくつ》ですか?」
「ええと、多分、二十八です」
「品行はどうですか?」
「えッ、品行?……ええ、いや、なんでも、大変利口な、いい娘《こ》だったそうですが……」
「いや、ここだけの話ですから、遠慮なく聞かせて下さい」
「はア……以前は、よかったんですが……それが、その……」と三田村技手はひどく困ったふうで、
「……ちょうど去年の今ごろのことでしたが、当時風間さんの宅に、しばらく厄介になっていた或《あ》る貨物船の機関士と、いい仲になって、家を飛び出したのがそもそもよくなかったんです……なんでもその後、横浜あたりでどうにかやっていたそうですが、なんしろ相手がよくない船乗りのことで、定石《じょうせき》どおり、子供は孕《はら》む、情夫《おとこ》には捨てられたということになって、半年ほど前に、すごすご帰って来たんです」
「ふむ、それで……」
「……それで、大変朗かな娘さんでしたが、それからはガラッと人間が変ったようになりました……そんなふうですから、自然と父親の風間さんからも、なにかにつけて、いつも白い眼で見られていたようです。……全く、考えてみれば、気の毒です……」
 そう言って三田村技手は、思わず自分の軽口を悔むような、いやな顔をして両手を揉《も》み合わせた。けれども、いままでじっと聞いていた東屋氏は、やがて暗い顔を上げると、呟《つぶや》くように言った。
「……ぼくは、あの暴れ石のからくりを弄《ろう》したものが、なんだかわかりかけてきたようだ」
「いったいそれはだれです! 娘さんですか、それとも……」
「もちろんそれは、娘のミドリさんだよ」
 とそれから東屋氏は、そばの椅子へしずかに腰を下ろし、両膝《りょうひざ》に両肘《りょうひじ》をのせて指を前に組み合せ、ためらうように首を捻《ひね》りながら、ボツリボツリと切り出した。
「……これは、どうも少し、臆測《おくそく》に過ぎるかもしれない……けれども、どうしてもぼくの想像は、こんなふうにばかり傾いてくるんだ。それに、どうもロマンスというやつは、畑違いでぼくには苦手だが、ま、……ここに一人の、純心な灯台守の娘があったとする。あるとき難波船から救い上げた一人の船員と、彼女は恋に陥る。ところが父親は非常に厳格な人で、娘のそのような気持を受け容《い》れない。当然若い二人は、相携えて甘い夢を追い求める……けれども、やがて彼女の身に愛の実の稔《みの》るころには、おとこの心は船に乗って、遠い国へ旅立つ……そしてひとすじの心を偽られた彼女は、堪え難い憎しみを抱いて、故郷へ帰る……けれども父親の冷たいもてなしは、彼女の心を狂おしいまでに掻《か》き立て、そして夜ごと日ごとに沖合をとおる夢のような船の姿は、彼女の心に憎しみの極印を焼きつける。おとこへの憎しみは船乗りへの憎しみとなり、船乗りへの憎しみは船への憎しみとなり、船という船を沈めつくさんとしてか、とうとうきびしい掟《おきて》を犯して船乗りの命の綱の灯台へ、ガスの深い夜ごとに、看守の居眠り時を利用して沙汰《さた》限りの悪戯《わるさ》をしかける……けれども、ある夜とうとう看守にみつけられた彼女は、驚きのあまりそばにありあわせた手斧《ておの
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