蜂須賀巡査は、雄太郎君の提供した証拠物件に添えて、下調べの顛末を誇らしげに報告した。そして間もなく証人の再度の訊問が始められた。被害者は秋森家の家政婦で、差配人戸川弥市の妻そめ子。兇行に関しては雄太郎君と郵便屋との二人の目撃者があったし、死因が単純明瞭で一目刺殺である事は疑いない事実と判定された為め、女の死体は間もなく却下になった。そして雄太郎君と郵便屋と戸川差配人との三人の証言の結果、司法主任は蜂須賀巡査の発見した例の足跡の調査に移った。
まず勝手門を開けて屋敷内へ這入る。五間程隔って正面に台所口がある。左は折曲った石塀の内側。右は宏い前庭の植込を透《とお》して、向うに母屋が見える。日中の暑さで水を撒くと見えて、地面は一様に僅かながら湿りを含んでいる。勝手門と台所との間には、御用聞《ごようきき》やこの家の使用人達のものであろう、靴跡やフェルト草履《ぞうり》の跡が重なるようにしてついている。蜂須賀巡査の発見《みつ》けた足跡はこの勝手門からすぐに右へ折れて、前庭の植込から母屋へ続く地面の上に点々と続いている。庭下駄の跡だ。非常に沢山ついている。
調査の結果、大体その庭下駄の跡は、四本の線をなしている事が判った。つまり、二人の人間が、庭下駄を履いてこの間を往復したことになる。すると、外から這入って、外へ帰ったのか? 内から出て内へ帰ったのか? けれどもこのような疑問は、庭下駄と云う前後の区別のハッキリした特殊な足跡が解いて呉れる。そして間もなく母屋の縁先の沓《くつ》脱ぎで、地面に残された跡とピッタリ一致する二足の庭下駄が発見《みつ》けられた。
秋森家の家族が怪しい。
警官達は俄然色めき立った。司法主任は、蜂須賀巡査を足跡の監視に残すと、母屋の縁先へ本部を移して、雄太郎君、郵便屋、戸川差配人の三人立会の下に、いよいよ秋森家の家族の調査にとりかかった。
老主人の秋森|辰造《たつぞう》は、動くことの出来ない病気で訊問に応じ兼ねると申しでた。そしてその病気については差配人や女中の証言が出たので、司法主任は二人の息子を呼び出した。ところが、出て来た二人の男を一目見た瞬間に、雄太郎君と郵便屋は真っ蒼になった。
二人の息子は、体格と云い容貌と云いまるで瓜二つで、二人とも同じような白い蚊飛白《かがすり》の浴衣を着、同じような黒い錦紗《きんしゃ》の兵児帯を締めている。名前は宏《ひろし》に実《みのる》、年齢《とし》は二人とも二十八歳。――明かに双生児《ふたご》だ。
一瞬、人々の間には気|不味《まず》い沈黙が漲《みなぎ》った。が、すぐに郵便屋が、堪えかねたように顫える声で叫んだ。
「こ、この人達に、違いありません」
そこで司法主任は、一段と厳重な追求をはじめた。ところが秋森家の双生児《ふたご》は、二人ともつい今しがたまで裏庭の藤棚の下で午睡《ひるね》をしていたので、なにがなんだかサッパリ判らんと答え、犯行に関しては頭から否定した。前庭などへ出たこともない、とさえ云った。
そこで二人の女中が改めて呼び出された。ところがナツと呼ぶ歳上のほうの女中は、老主人の係りで殆んど奥の離れにばかりいたから、母屋のことは少しも判らないと答え、キミと呼ぶ若いほうの女中は、二人の若旦那が藤棚の下で午睡《ひるね》をしていられたのは確かだが、実は自分もそれから一時間程|午睡《ひるね》した事、尚事件の起きあがる少し前頃に何処からか電話がかかって来て、家政婦のそめ子が留守を頼んで出て行ったが、何分夢うつつでボンヤリ寝過してしまい申訳もありませんと答えた。
このように女中の証言によっても、双生児《ふたご》の現場不在証明《アリバイ》は極めて不完全なものであったし、何よりも悪いことには、訊問が被害者の戸川そめ子の問題に触れる度に、双生児《ふたご》は何故か妙に眼をきょとつか[#「きょとつか」に傍点]せたり臆病そうに口籠ったりした。この事は明かに係官の心証を損ねた。そして司法主任は、双生児《ふたご》の指紋と、押収した兇器の柄に残された指紋との照合による最後の決定を下すために、警視庁の鑑識課へ向けて部下の一人を急がした。
三
さて、一方足跡の番人を仰せつかった新米の蜂須賀巡査は、奉職してから初めての殺人事件に、もう一番手柄を立てたかと思うと、内心少からぬ満足で、こうなるとそろそろ商売は可愛らしく、後手を組んで盛んに合点しながら、足跡の線をあちらへブラリこちらへブラリと歩き廻っていた。
こうして研究してみると、足跡などもなかなか面白い。例えば――、蜂須賀巡査は勝手口の小門の近くに屈み込んで、庭下駄の跡に踏みつけられた一枚の桃色の散《ちらし》広告を見ながら考えた。――例えば、この広告ビラは、小門の方を向いた庭下駄の跡に踏みつけられているのだから、庭
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