下駄の主が庭の植込から出て来て、この小門を脱け出て行く際に踏みつけられたものに違いない。――ふむ。カフェーの広告だな。ルパン……ルパン? はて、聞いたことのある名だぞ?……
 何に気づいたのか、急に蜂須賀巡査は立ちあがった。そして額口に激しい困惑の色を浮べながら、暫くじっと立止っていたが、やがて訊問をすまして台所へ出て来た女中のキミを見ると、歩みよって声をかけた。
「君。ちょっと訊くがね。この家へは、新聞や散《ちらし》広告は、どこから入れるかね?」
「え、新聞?」と彼女は体を起してエプロンで手を拭きながら「新聞は、その小門を開けて、台所《ここ》まで届けて呉れますわ。郵便もね。でも、広告などは、その小門を一寸開けて、そこから投げ込んで行きますが」
「成る程。有難う」
 蜂須賀巡査は大きく頷いた。けれどもその顔色は見る見る蒼褪め、額口には一層激しい困惑の色を浮べて今までの元気はどこへやら、下唇を堅く噛みしめながら、顫える指先で盛んに顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりをトントンと軽く叩きながら、塑像のように立竦《たちすく》んでしまった。
 ――妙だ……つまりここから、散《ちらし》広告が投げこまれる……それから犯人が女を殺しに出かける途中で、投げこまれたこの広告を踏みつける……それでいいか? それでいいのかナ?……駄目駄目。サッパリ理窟が合わんぞ! 蜂須賀巡査は頻《しき》りに苦吟しはじめた。
 するとそこへ、取調べを終った司法主任の一行が、宏と実の双生児《ふたご》を引立てて意気揚々と出かけて来た。蜂須賀巡査は急にうろたえはじめた。そしてどぎまぎした調子で司法主任へ云った。
「待って下さい。ちょっと疑問があるんです」
「なんだって?」司法主任は乗り出した。「疑問? 冗談じゃあない。随分ハッキリしてるぜ。鑑識課から電話があったんだ。兇器の柄の指紋と、秋森宏の指紋がピッタリ一致しているんだ!」
 ――蜂須賀巡査は、手もなく引退《ひきさが》った。
 やがて一行は引揚げて行った。そして秋森家の双生児《ふたご》は殆んど決定的な犯人として警察署へ収容され、事件は一段の落着を見せはじめた。
 ところが、虫がおさまらないのは蜂須賀巡査だ。夕方の交代時間が来て非番になると、相変らず悶々と考え続けながら秋森家へやって来た。そして勝手口の例の場所で、先刻《さっき》の女中
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