の本場、京都岩倉村の出身であるだけに、いち早くこの点に目をつけた。そして互に矛盾し合う二つの看護形式を折衷して謂《い》わば家庭的小病院と云うようなものを創立したのだった。けれども一人の患者に必らず一人の看護者を抱えて置くという、これは仲々経費のかかる病院だった。初代目はどうやら無事に過ぎた。が、二代目にはそろそろ経営難がやって来た。そして三代目の当主に至って、とうとう私財を殆ど傾けてしまった。
新らしい時代が来て、新らしい市立の精神病院が出来上ると、その頃からたださえ多くもない患者がめきめきと減って行った。勲章をブラ下げた将軍や偉大なる発明家達が、賑《にぎ》やかに往来《ゆきき》していた病舎を一人二人と去って行くにつれて、今までは陽気でさえあった歌声も、何故か妙にいじけた寂しいものになって来て、わけても風の吹く夜などはいたたまれぬほどの無気味さを醸《かも》し出し、看護人も二人三人と逃げるように暇をとって今ではもう五十を越した老看護人が一人、からくも居残った殆ど引取人もないような三人の患者の世話を続けていた。もっともこの外に薬局生を兼ねた女中が一人いて、院長夫妻を加えて七人の男女が暮して
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