た。なんでもその支部長というのも、その地方ではかなり人望のある慈善家だそうであるが、その支部長の推薦を受けた、資格のある志望者は、例の三の字のマークを貰って、それを手荷物へ着け、東京着三時の三輛目へ乗って、上京しなければならないのであった。すると、それを目印にしてその案内人が迎えに出かけ、三時三十分までに会の事務所まで案内されて行くと、恰度その時間にやって来た会長が、その客の旅行に要する経費を、尤もこれは三百円以内でないといけないそうであるが、兎に角その金を渡してくれるのであった。条件といってもそれだけで、もうそれからは、自分の勝手に好いたように遊び廻るなり、用事をするなり、することが出来るのであって、幾日滞在しようと、何処へ泊ろうと、いつ東京を引揚げようと、全く勝手で案内人も見送りしなくてもいいことになっている、という事であった。ところで、その会長というのが、これが又昔は只の貧乏人であったそうであるが、いまはなかなかの金持で、もう相当な年寄りであるが、或る事情でその会を始めるようになってからは、降っても照っても必らず毎日午後の三時三十分には事務所へ出て来て、案内されて来た客に面会するのであった。面会といっても、僅か三分間くらいのもので、会長はただ金を渡すだけでサッサと帰ってしまう。それで、一日に一人しか、案内出来ないことになっているとのことであった。
ところで、その奇徳な覆面会長が、何故このように妙な奉仕会を始めたか、そして又、何故そんなに三の字づくしのサービスをするのか、その根本的な事情について、ひと通りの話を聞いた伝さんが、質問の矢を向けると、三の字旅行会の案内人は、しんみりした調子に改まって、こんな風に説明したのであった。
「……そうそう、あなたも、定《さだ》めしその点、不思議に思われたことでしょうね。いや、こいつは私も、会の会計をしている方から又聞きしたことですから、全く詳しいことは知らないんですが、何んでも会長は、まだ貧乏していた若い頃に、自分のところへ引取ることの出来ないような子供をこしらえたんだそうですよ。女の子で、三枝《みつえ》という名前をつけたそうですがね、ところが、それがそもそもこの因縁咄の起《おき》はじまりで、最初は、母親の手許で育てられたんだそうですが、その娘さんの三つの歳に、可哀相に母親はふとした病気がもとで死んでしまい、娘さんは、関西
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