たらしい」
「と云うと?」
「いや……後で話そう。とにかく、もう此処はこれで沢山だ。引き揚げよう」とそれからマベ貝の詰った桁網の上へ屈みながら、
「済まないが、君も手伝ってくれ給え。こいつは大事な証拠品だから」
 私はなんのことだか判らぬながらも、取敢《とりあえ》ず彼の申出に従った。やがてひどく重いその荷物を二人してやっとこ提《さ》げながら先程の小池の岸へ出て来た私達は、其処でアセチリン・ランプをも荷物の中へ加えて、間もなく元の海岸へ出た。
 重い荷物を白鮫号に積み込んだ私達は、この吹き溜りには風がないので、岸伝いに白鮫号の艫綱《ともづな》を引っ張って、風のある入江の口までやって来た。
「此処で昨晩の加害者も、帆《セイル》や舵の位置を固定して、白鮫号を放流したのだよ。見給え。ほら、やっぱり擦り消された足跡が、ずっと続いて着いている」
 東屋氏にそう云われて、始めて私はそれに気がついた。こちらの足跡は最初上陸した附近の足跡よりも先に消したと見えて、消し方がずっと丁寧である。
「さあ。僕等もこの辺で出帆しよう。大分風も強くなって来た」
 私達は船に乗り込んだ。大きな大檣帆《メンスル》は暫く音を立ててはためいていたが、やがてその位置を風向きに調節されると、白鮫号は静かに走り出した。
 東屋氏は紙巻《シガーレット》に火を点けると、舵手の私に向って口を切った。
「やっぱりそうだ。僕は今まで大変な誤謬を犯していたよ。つまり、先刻《さっき》この浮力の実験をした時に、僕は、昨夜この白鮫号に深谷氏も加えて三人の人間が乗っていたと断定したね。あれがそもそも過失なんだ。勿論重量の一九〇|瓩《キロ》強と云うのは間違ってはいないさ。ただ人間の頭数だ。人間の頭数が三人ではないと云うんだ。では何人か? 二人だ。勿論、一九〇|瓩《キロ》と云う重量は、二人の人間の重量としてはひどく重過ぎる。そこで僕等は、こいつを思い出せば好いんだ。このマベ貝やらアセチリン・ランプやらの重量をね。確かにこれらの荷物が、昨夜、深谷氏と加害者の二人に加わってこの白鮫号に乗っていたと云う事は、もはや誰にだって理解出来る筈だ。つまり犯人は二人でなくて一人なんだ。で、僕はここ数十分後に、犯人の大体の体重を知る事が出来る。つまり、一九〇・九二〇|瓩《キロ》から深谷氏の五三・三四〇|瓩《キロ》とこの荷物の重量とをマイナスしたものが、犯人の体重と云うことになるんだ」
「成る程、合理的だ」と私は乗り出して、「じゃあもう、この荷物を秤に懸けさえすれば、それでチョンだね?」
「いや君、ところがこの事件は、それでチョンになるような単純なものではないよ。犯人は間もなく判るさ。だがそれは、この事件の大詰めではない。例えば、まずあの『明日の午後だ。明日の午後までだ、きっとここまでやって来る』と云う怯えるような深谷氏の独言を思い出し給え。いったい深谷氏はなにをそんなに待ち恐れていたのだろう?……ここで深谷氏の、奇妙な日常生活も一応考えねばならん。そして又、桁網でこんな貝をこんなに沢山拾い集めてなにをしようと云うのだろう?……ね、いくら深谷氏だって、まさか『これも儂《わし》の趣味じゃ』なんて云えまいて……」
 東屋氏はそう云って、苦々しく紙巻《シガーレット》の吸いさしを海の中へ投げ込んだ。
 真艫《まとも》に強い疾風を受けた白鮫号は、矢のように速く鳥喰崎を迂廻する。陰気な雲は空一面にどんよりと押し詰って、もう太陽の影も見えない。

 それから程なくして深谷邸に帰り着いた私達は、重い荷物を提げて崖道を登って行った。
 私達の留守の間に先発の警官達が着いたと見えて、崖道を登り詰めると、顔馴染の司法主任が主館《おもや》の方から笑いながらやって来た。
「やあ、先生。殺人事件だと云うのに、ヨット遊びとは驚きましたなあ」
 そこで私は、東屋氏による事件探査の異常な発展振りを、簡単にかいつまんで説明した。すると司法主任は、
「先手を打たれたわけですな。いや、結構です。じゃあひとつ、その秤の実験に立会わして下さい」
 そこで私達は、早速|別館《はなれ》の物置へやって来た。
 もういまここで、犯人が判るのかと思うと、私は内心少からず固くなった。が、東屋氏は頗《すこぶ》る冷淡で、さっさと私に手伝わすと、二つの荷物を秤台の上へ乗っけてしまった。
 計量針が、ピ、ピ、ピッと大きく揺れはじめる。そして見る見るその振幅が小さくなって、神経質に震えながら――チッと止まる。
 七一・四八〇|瓩《キロ》!
 瞬間、東屋氏は眼をつぶって暗算を始める。と、急に、どうしたことか、手に持っていたノートを、ばったり床の上に落してしまった。
 彼の眼には、顔には、見る見る驚きの色が漲《みなぎ》り始める。そしてその驚きの色は、直ぐに深刻な、痛々しい、困惑の影
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