?」
 私と下男は、云い合したように東屋氏の側へ寄って覗き込んだ。
 成る程|重心板《センター・ボード》の下端部の、鉛と木材の接ぎ目の附近に、薄く引っこすったように柔かな粘土が着いている。
「この白鮫号は、今朝水から上げたなり、まだ一度も降ろさないですね?」
「ええそうです」
 下男が答えた。
「するとこの粘土質の泥は新しいものだし、この附近は岩ばかりだし……」と東屋氏は私の方へ笑いながら、
「つまり昨晩深谷氏の乗ったこの白鮫号は、一度何処か粘土質の岸に繋がれた訳だね。そして、この重心板《センター・ボード》が船底から余分に突出しているために、船底のどの部分よりも一番早く、一番激しく、粘土質の海底と接触する……」
「ふむ」
「そしてその海底には、ほら、その舵板《ラダー》の蝶番に喰っ附いている海草が、それは長海松《ながみる》と云うんだが、そいつが、一面に繁茂しているに違いない。その種の海草は、水際の浅いところに多く繁殖するからね」
 私も下男もこの推論には、ただ恐れ入るより他なかった。全く海のことにかけては、私などなんにもならない。
 東屋氏は重心板《センター・ボード》を離れると、今度は横たえられた白鮫号の船体《ハル》に噛りついて、スマートな舷側に沿って注意深く鋭い視線を投げかけながら、透したり指で触って見たりしていたが、不意に私達を振り返った。
「一寸見に来給え」
 そこで私達も船体《ハル》に寄り添って、東屋氏の指差す線に眼を落した。
 なんのことはない。半分|乾枯《ひから》びかかった茶褐色の泡の羅列が、船縁《ふなべり》から平均一|呎《フィート》ほどの下の処に、船縁に沿って、一様に船をぐるっと取り巻くようにして長い線を形造っているだけだ。何処にでも見受けられるありふれた現象だ。例えば、潮の引いてしまった岩の上にでも、砂の上にでも――。
「なんだ、泡の行列か……」
 思わず云いかけた私も、しかし意味ありげな東屋氏の視線に合って、直《ただち》に彼の云おうとしている意味を汲み取った。
「ああなるほど、君は底に粘土質の泥と長海松の生えている海岸の水面に、この茶褐色の泡が浮いていた、と云うんだね?」
「うむ、だが僕は、もっと素晴らしい事実に気がついたんだ」
 そう云って今度は下男に向って、
「この辺は、波は静かでしょうね?」
「ええ、ま大体……」
「昨夜は?」
「海霧《ガス》があったほどですから、無論|凪《なぎ》でしたでしょう」
「よし、ともかく船を出そう」
 東屋氏は進み出た。
 この速製の探偵屋に最初のうち少からず危気《あぶなげ》を覚えていた私も、いまはもう躊躇するところなく、下男と力を合わせて白鮫号を水際へ押し出した。
 やがてヨットが静かな磯波に乗って軽く水に浮ぶと、東屋氏は元気よく飛び乗った。そしてなにかひどく自信ありげに、
「さあ。これから、一寸興味ある実験を始める。船の水平を保つように、各自の位置を平均して取ってくれたまえ」
 東屋氏は上機嫌で船縁に屈み込むと、子供のように水と舷側の接触線を覗き込んでいたが、不意に立上って私をふん捉《づかま》えた。
「君、何貫ある?」
「何貫って、目方かね?」
「そうだ」
「よく覚えていないが、五十|瓩《キロ》内外だね」
「ふむ。よし」
 と今度は下男に向って、
「君は?」
「私もよく覚えていませんが、六十|瓩《キロ》以上は充分ありましょう」
「成る程。――僕が約五十六|瓩《キロ》と……一寸君達、そのままでいてくれ給え」
 そう云って両手で抑えるように私達を制すると、そのまま岸に飛びあがって行った。が、間もなく大きな石を二つ程重そうに抱えて来て、船に積み込ませた。
「さあ、もう一度船の水平を保つために、各自の位置に注意して。いいですか」
 そう云って東屋氏は、前と同じように屈み込んで舷側を覗《のぞ》き込んでいたが、間もなく微笑みながら立上って云った。
「よし。これで恰度よい――。ところで、先程僕が面白い発見をしたと云ったのは、これなんだよ。つまり、僕と君とそれから下男《あなた》と、そしてこの大小二つの石と、合計しただけの重量が、一層正確に云えばいまこの白鮫号に乗っかっているだけの重量と同じだけの重量が、そうだ、人間なら大人三人位の重量が、昨夜この泡のある海面に浮いていた同じ白鮫号の中に乗っかっていたのだ。つまり深谷氏は、昨夜一人だけでヨットへ乗っていたのではない。誰かと一緒に乗っていたのだ」
「成る程」
「そしてだ。その重量は、泡のある海面で、この白鮫号の上から、消えてなくなったのだよ」
「どうして?」
 私は思わず問い返した。
「だって、もしもそうでなかったなら、いま僕は、こうしてこんな発見をすることは出来ないよ。その泡の海から、波にびたつかれ[#「びたつかれ」に傍点]ながら白鮫号がここま
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