川監督が、防火扉を締めかけていた。そして締めてしまった。続いて技師が来、工手が駈けつけて、塗込めがはじまる……ここが肝心なところですよ。いいですか、峯吉は防火扉の締められる前に出ていなければならないのですから、その時女のあと[#「あと」に傍点]から飛び出して来て、そして浅川監督が防火扉を締めるまえ[#「まえ」に傍点]に飛び出したことになるのです。つまり飛び出してホッとして振返った女と、防火扉を締めかけた浅川監督との間のなにもなかった空間に、峯吉がいたわけです……」
「待て待て、君の云うことは、どうも判るようで、判らん」
 係長が、顔を顰《しか》めながら遮切るようにして云った。技師は構わず続けた。
「いや、判らないのも無理はないですよ。私だって、こうして理詰めで攻め上げたればこそ、やっと少しずつ判りかけて来たのですから……全く、その時そこで、なんとも変テコなことが起ったんですよ。運命の悪戯《いたずら》とでも云う奴なんです」
 云いかけて、技師は、傍らに立っていたお品のほうへ向き直った。
「お前にもうひとつ聞きたいことがあるんだ……お前は、あの時|炭車《トロ》を押して捲立《まきたて》から帰って来ると、片盤から自分の採炭場《キリハ》へはいって行き、そこの闇の坑道でいつもそこまで迎に出ている峯吉に飛びついて行ったと云うが、その男は確かに峯吉であったか?」
 お品は、意外な技師の言葉に、瞬間息を呑んで目を瞠った。
「お前は、峯吉がいつもそこの闇の中で、抱いてくれると云ったろう。闇の中でそうしてその時お前を抱いた男は、確かに峯吉に相違なかったか?」
「……はい……」
「それではもうひとつ聞くが、その時峯吉は安全燈《ランプ》を持っていたか?」
「持ってはいませんでした」
「お前の安全燈《ランプ》はどうしていた?」
「炭車《トロ》の尻につけていました」
「するとその安全燈《ランプ》の光りは、枠に遮切られて前のほうを照らさずに、炭車《トロ》の尻の地面ばかりを照らしていたわけだな……お前は、走っている炭車《トロ》をそのまま投げ出して峯吉へ飛びついたと云ったが、それではその峯吉の前へ炭車《トロ》が行くまで、安全燈《ランプ》の光りは峯吉の顔を照らさなかったわけだし、峯吉の前を炭車《トロ》が走り去って炭車《トロ》の尻につけた安全燈《ランプ》の光りが始めて峯吉に当った時には、峯吉の体は光りを背に受けて影になって浮上るではないか。どうしてお前はそれが峯吉だったと見ることが出来たのだ?」
「……」
 お品は訳の分らぬ顔をして、俯向いてしまった。が、その顔には隠し切れぬ不安が漲《みなぎ》っていた。技師は係長へ向き直った。
「もう、私の考えていることが、いや、こうよりほかに考えざるを得ないことが、大体お判りになったでしょう……つまり、峯吉は、あの発火の時に、てん[#「てん」に傍点]から坑内には入っていなかったのですよ」
「待ち給え」係長が遮切った。「すると君は、この女が闇の中で抱きついた男と云うのは、峯吉ではなかったと云うんだな?」
「そうです。峯吉は外にも中にもいなかったのですから、いやでもそう云うことになるではありませんか」
「じゃア、いったいその男は誰なんだ」
「女のあとから飛び出して、しかも坑内には残されなかったのですから、その時女のうしろ[#「うしろ」に傍点]にいて、防火扉のまえ[#「まえ」に傍点]にいた男です」
 係長は、意外な結論に驚いて黙ってしまった。が、直ぐに勢いを盛り返して、
「どうも君の云うことに従うと、事件全体がわけの判らぬ変チクリンなものになってしまうぜ。例えば、峯吉は発火の時にその場にいなかったとすると、いったい何処へ行っていたんだ」
「さア、それですよ」と技師はひと息して、「ここでもう一つの他の事実を、そこまで進んだ新らしい目で見ます。……つまり、水呑場にあった安全燈《ランプ》ですが、あなたは、その安全燈《ランプ》を、密閉後抜け出した峯吉が、人殺しの邪魔になるから置いて行ったと解釈されたでしょう。しかしいま私は、その安全燈《ランプ》を、発火当時坑内にいなかった峯吉の所在を示すものと解釈します。峯吉は、水呑場へ行っていたんです」
「成る程。じゃアなんだな。峯吉は全々発火に関係していなかった。つまり決して塗込めに関係していなかったんだな。それでは、何故その塗込められもしない峯吉が、塗込めに関係した恨みもない人々を次々に殺害したのだ」
「どうもあなたは、まだ誤った先入主にとらわれていますね」
 菊池技師は苦笑すると、両手を握り合して苛立たしそうに歩き廻りながら云った。
「私がいままで考え進めて来た範囲では、まだ犯人が誰であるかと云う点には、少しも触れていなかった筈ですよ。ところで、ここでもう一つほかの事実を調べて見ましょう。それはこの殺人
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