喬介は梯子を降りて来て、今度は、規定の位置に停車している機関車の操縦室《キャッブ》へ乗り込み、そこから投炭用のスコップを持ち出すと、地面へは降りずに汽罐側のサイド・タンクに沿って、框《フレーム》の上を給水タンクの梯子と向合う処まで歩くと、ウンと力んで片足を給水タンクの足場へ掛け、機関車と給水タンクとの間へ大の字に跨《またが》った。
「さて。これから始めます。先ず私を、この事件に於ける不幸な第一の被害者、土屋良平君と仮定します。そして、タンク機関車73号に給水するため、土屋君は頭上に恐るべき装置があるとも知らず、この通りの姿勢を執《と》って、ここにぶら下っているこのズック製の呑口《スパウト》を、こちらの機関車のサイド・タンクの潜口《マンホール》へ向けて充行《あてが》い、給水タンクの開弁を促すために右|掌《て》でこの鎖を握り締めて、この通りグイと強く引張ります――」
 喬介は本当に鎖を引張った。すると撥形鶴嘴《ビーター》は恐ろしい勢で、柄先を中心に半円を空に描きながら、喬介の後頭部めがけて落ちて来た。と、喬介は素速く上体を捻って、左手に持っていたスコップを、恰度頭の位置へ差出した。
 ジーン――鋭く響いて、スコップは私達の前へ弾き落された。私達は一様にホッとした。……
 やがて、見事に検証を終えた喬介が、機関車を帰して、両手の塵を払いながら私達の側へ戻って来ると、チョビ髭の助役が、顫え声で、すかさず問い掛けた。
「じゃあ一体、貴方のお説に従うと、犯人は何処《どこ》から来たのです。道がないじゃあないですか?」
「ありますとも」
「ど、どこです?」
 すると喬介は、上の方を指差しながら、
「この給水タンクの屋根からです。ほら。御覧なさい。少し身軽な男だったら、給水タンク、石炭パイル、ランプ室、それから貨物ホーム――と、屋根続きに何処《どこ》までも歩いて行けるじゃないですか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 ――私は驚いた。喬介に言われて始めてそれと気付いたのだが、四つの建物は、高さこそ各々三、四尺ずつ違うが偶然にも一列に密接していて、薄暗い構内に、まるで巨大な貨物列車が停車したかの如く、長々と横わっている。成程これでは、私だって歩いて行けそうだ。
「ところで、犯行前には、雪が降っていたのでしたね」
 そう言って喬介は、給水タンクの梯子を登り始めた。で、司法主任と助役は本線側の梯子を、私は喬介と同じ一番線側の梯子を、それぞれ喬介の後に従って登って行った。
 直ぐに私達は、地面から二十|呎《フィート》とないその頂に達した。そして其処の鈍い円錐形の鉄蓋《やね》の上の、軽く積った粉雪の表面へ、無数に押し着けられたままの大きな足跡や、掌《て》の跡や、はては撥形鶴嘴《ビーター》を置いたり引摺ったりしたらしい乱雑な跡などを発見した。
 喬介は直《すぐ》に鉄蓋《やね》の上へ匐《は》い上った。――実際こんな処では、匐っていなければ墜ちてしまう――そして、その上の無数の跡に就いて調べ始めた。
 向うの梯子の上では、司法主任と並んで、興奮した助役が、唇を噛み締めながら喬介の仕草を見ていたが、とうとう堪え兼ねた様に、
「じゃあ、は、犯人は、ここから梯子伝いに機関車へ乗り移り、犯行後そのまま機関車で走り去ったに違いない。ね、走り去ったんでしょう?」
 すると喬介は笑いながら、
「何故貴下は、いつまでもそんな風に解釈したがるんですか※[#感嘆符疑問符、1−8−78] ほら、これを御覧なさい。この足跡は、石炭|堆積台《パイル》の上にうず高く積み上げられた石炭の山から上って来て、こちらの一番線側の梯子口へ来ていると同時に、逆に、再び戻っているじゃないですか?」
 助役は、血走った眼で喬介の指差す方を追っていたが、やがてぶるぶる顫い出すと、あわてて腕時計を覗き込んだ。そして顫える声で、
「失敗《しま》った……大変なことになったぞ……」
 そう言ってそのまま蒼くなって、大急ぎで梯子を降りて行った。そして、保線係やH機関庫主任等を捕えて、乗務員なしで疾走し去った73号機関車が、その閉塞区間の終点であるN駅で、既に、当然惹き起したであろう恐るべき事故。そして又、そのために一体どんな責任問題が起るか――等々に就いて大騒ぎを始めた。

          五

 一方、鉄蓋《やね》の上の足跡を一心に調べていた喬介は、やがて私と司法主任に向って、
「じゃあ、犯行の大体の径路を、僕の想像に従って、話して見よう。――先ず、撥形鶴嘴《ビーター》を持った犯人は、あの貨物ホームの屋根から、ランプ室、貯炭パイルを伝って此処へやって来ると、先刻《さっき》の実験通り撥形鶴嘴《ビーター》に依る殺人装置を施して、蝙蝠《こうもり》の様にその梯子の中途にヘバリ着きながら73号のやって来るのを待ってい
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