倒れていた。真白な雪の肌に黒血のにじんだその頭部の近くには、顎紐の千切れた従業員の正帽がひとつ、無雑作に転っている――。
警察医は、早速屍体の側へ屈み込むと、私達を上眼で招いた。
「――温度の関係で、硬直は割に早く来ておりますが、これで死後三四十分しか経過していません。勿論他殺です。死因は後頭部の打撲傷に依る脳震盪《のうしんとう》で、御覧の通り傷口は、脊髄に垂直に横に細く開いた挫傷で、少量の出血をしております。加害者は、この傷口やそれから後頭部の下部の骨折から見て、幅約〇・八|糎《センチ》、長さ約五|糎《センチ》の遊離端を持つ鈍器――例えば、先の開いた灰掻棒《はいかきぼう》みたいなもので、背後から力まかせにぶん殴ったものですな」
「他に損傷はないですか?」喬介が訊いた。
「ええ、ありません。もっとも、顔面、掌その他に、極めて軽微な表皮剥脱|乃至《ないし》皮下出血がありますが、死因とは無関係です」
喬介は警察医と向い合って一層近く屍体に寄添うと、懐中電燈の光を差付ける様にして、後頭部の致命傷を覗き込んだ。が、間もなく傷口を取巻く頭髪の生際《はえぎわ》を指差しながら、医師へ言った。
「白い粉みたいなものが少しばかり着いていますね。何でしょう? 砂ですか?」
「そうです。普通地面のありふれた砂ですよ。多分兇器に附着していたものでしょう」
「成程。でも、一応調べて見たいものですね」そして駅員達の方へ振向いて、「顕微鏡はありませんか? 五百倍以上のものだと一層結構ですがね――」
すると、私の横に立っていた肥っちょのチョビ髭を生《はや》したW駅の助役が、傍らの駅手に、医務室の顕微鏡を持って来いと命じた。
喬介は、それから、固く握り締められたままの被害者の右掌や、少し膝を折って大の字に拡げられた両の脚などを、時折首を傾《かし》げながら調べていたが、やがて立上ると、今しがた部下の警部補と何か打合せを終えた内木司法主任に向って声を掛けた。
「何か御意見を承給《うけたまわ》りたいものですね」
喬介の言葉に司法主任は笑いながら、
「いや。私の方こそ、貴下《あなた》の御援助を得たいです。が、まあ、とにかく捜査に先立って、大切な点をお知らせして置きましょう。と言うのは、外でもないですが、一口に言うと、つまり現場に加害者の痕跡が微塵もないと言う事です。何しろ、御承知の通り犯行の推定時
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