銀座幽霊
大阪圭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)青蘭《せいらん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)みち幅三|間《げん》とない
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)幽霊の殺人※[#感嘆符疑問符、1−8−78]……
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一
みち幅三|間《げん》とない横町の両側には、いろとりどりの店々が虹のように軒をつらねて、銀座裏の明るい一団を形づくっていた。青いネオンで「カフェ・青蘭《せいらん》」と書かれた、裏露路にしてはかなり大きなその店の前には、恒川《つねかわ》と呼ぶ小綺麗な煙草店があった。二階建で間口二|間《けん》足らずの、細々《こまごま》と美しく飾りたてた明るい店で、まるで周囲の店々から零《こぼ》れおちるジャズの音を掻きあつめるように、わけもなくその横町の客を一手に吸いよせて、ぬくぬくと繁昌していた。
その店の主人というのは、もう四十をとっくに越したらしい女で、恒川|房枝《ふさえ》――女文字で、そんな標札がかかっていた。横町の人びとの噂によると、なんでも退職官吏の未亡人ということで、もう女学校も卒《お》えるような娘が一人あるのだが、色の白い肉づきの豊かな女で、歳にふさわしく地味なつくりを装ってはいるが、どこかまだ燃えつきぬ若さが漲《みなぎ》っていた。そしていつの頃からか、のッぺりした三十がらみの若い男が、いり込んで、遠慮深げに近所の人びとと交際《つきあ》うようになっていた。けれども、酔い痴《し》れたようなその静けさは、永くは続かなかった。煙草店が繁昌して、やがて女中を兼ねた若い女店員が雇われて来ると、間もなく、いままで穏かだった二人の調和が、みるみる乱れて来た。澄子《すみこ》と呼ぶ二十を越したばかりのその女店員は、小麦色の血色のいい娘で、毬《まり》のようにはずみのいい体を持っていた。
煙草屋の夫婦喧嘩を真ッ先にみつけたのは、「青蘭」の女給達だった。「青蘭」の二階のボックスから、窓越しに向いの煙草屋の表二階が見えるのだが、なにしろ三間と離れていない街幅なので、そこから時どき、思いあまったような女主人のわめき声が、聞えて来るのだった。時とすると、窓の硝子扉《ガラスドア》へ、あられもない影法師のうつることさえあった。そんな時「青蘭」の女達は、席をへだてて客の相手をしていながらも、そっと顔を見合せては、そこはかとない溜息をつく。ところが、そうした煙草屋の不穏な空気は、バタバタと意外に早く押しつめられて、ここに、至極不可解きわまる奇怪な事件となって、なんとも気味の悪い最後にぶつかってしまった。そしてその惨劇の目撃者となったのは、恰度《ちょうど》その折、「青蘭」の二階の番に当っていた女給達だった。
それは天気工合からいっても、なにか間違いの起りそうな、変な気持のする晩のこと、宵の口から吹きはじめた薄ら寒い西の風が、十時頃になってふッと止まってしまうと、急に空気が淀《よど》んで、秋の夜とは思われない妙な蒸暑さがやって来た。いままで表二階の隅の席で、客の相手をしていた女給の一人は、そこで腰をあげると、ハンカチで襟元を煽《あお》りながら窓際によりそって、スリ硝子《ガラス》のはまった開き窓を押しあけたのだが、何気なく前の家を見ると、急に悪い場面《とこ》でも見たように顔をそむけて、そのまま自分の席へ戻り、それから仲間達へ黙って眼で合図を送った。
煙草屋の二階では、半分開けられた硝子《ガラス》窓の向うで、殆んど無地とも見える黒っぽい地味な着物を着た、色の白い女主人の房枝が、男ではない、女店員の澄子を前に坐らせて、なにか頻《しき》りに口説きたてていた。澄子は、いちいち頷《うなず》きもせず、黙ってふくれッ面をして、相手に顔をそむけていたのだが、黒地に思い切り派手な臙脂《えんじ》色の井桁《いげた》模様を染め出した着物が今夜の彼女を際立って美しく見せていた。けれども房枝は、直ぐに「青蘭」の二階の気配に気づいてか、キッと敵意のこもった顔をこちらへ向けると、そそくさと立上って窓の硝子《ガラス》戸をぴしゃりと締めてしまった。ジャズが鳴っていてかなり騒々しいのに、まるでこちらの窓を締めたように、その音は高く荒々しかった。
女給達は、ホッとして顔を見合せた。そして互に、眼と眼で囁き交した。
――今夜はいつもと違ってるよ。
――いよいよ本式に、澄ちゃんに喰ってかかるんだ。
まったく、いつもと変っていた。無闇と喚き立てず、黙ってじりじり責めつけているらしかった。時折、高い声がしても、それは直ぐに辺りの騒音の中に、かき消されてしまった。十一時を過ぎると、母親に云いつけられたのか女学校
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