の手紙を夫のヘルメルに見せまいとする必死の努力と同じ様な努力が、繰返されたに違いない。――だが、結果に於て夫人はノラよりも無智で、ヒステリカルであった。昨日の朝になって、多分夫人は、これ等の奇抜な季節違いの装束を身に着けると、『花束の虫』を読みたがる直介を無理に誘い出し、あの証人が黒いトランクと間違えたこの手提蓄音器《ポータブル》を携えて梟山へピクニックに出掛けたのだ。この場合僕は、あの兇行《きょうこう》をハッキリと意識して夫人はあんな奇矯[#「奇矯」は底本では「奇嬌」]な男装をしたのだと考えたくない。それは、犯罪前のあの微妙な変則的な心理の働き――謂《いわ》ば怯懦《きょうだ》に近い、本能的な用意、がそうさせたのだ。そして夫人は、絶えず『花束の虫』から直介の関心を外らす為に、努力しなければならなかった。――軈《やが》て、見晴のいいあの崖の上で、二人はダンスを踊り始めたのだ。あのうわずった調子の、情熱的なスパニッシュ・ワンステップをね。そして、その踊の、情熱の、最高潮に達した時に、今迄夫人の心の底でのたうち回っていた悪魔が、突然首を持上げたのだ。――茲《ここ》で君は、あの証人が、馬鹿にあ
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