それも二十分としない内に其処を飛び出すと、再びタクシーに乗り込んで、意勢《いせい》よくこう命じた。
「日米・ホールへ!」
それから、次に、
「国華・ホール!」
――そんな風にして、ざっと数え上げると、ユニオン、日米、国華、銀座、フロリダと、都合五つの舞踏場《ホール》を踊り回った大月は、最後のフロリダで若い美しい一人のダンサーを連れ出すと、その儘自動車を飛ばして丸の内の事務所へ帰って来た。
いつもならばもう仕事を終って帰っている秋田も、流石に今日は居残っていた。そして、不意に若い女などを連れて帰って来た大月を見ると、もう口も利けない位いに驚《おどろ》いて了った。
が、そんな事には一向に無頓着《むとんちゃく》らしく、帰って来た大月は、秋田に一寸微笑して見せただけで、直ぐ隣室へその女を連れ込むと、間の扉をピッタリ閉めて了った……。
そして、おお、呆然《ぼうぜん》として了った秋田の耳へ、軈て、狂躁なジャズの音が、軽いステップの音と一緒に、隣室から聞え始めて来た。
全く、「先生」のこんな態度に出会ったのは、今日が初めてであった。秋田はもう書類の整理どころではなくなった。ともすると、鼻の先がびッしょり汗ばんで、眩暈《めまい》がしそうになるのを、ジッと耐えて、事務卓《デスク》に獅噛《しが》みついていた。が、それでも段々落着くに従って、彼の脳裡に或るひとつの考えが、水の様に流れ始めた……
――ひょっとすると、この女が、あの梟山の海水靴の女ではないだろうか? そして、先生が……だが、そうすると、一体この騒ぎは何になる……いや、これには、何か深い先生のたくらみがあるに違いない。そうだ。兎に角この女を逃してはならない。犯人を茲迄引き寄せて、この儘逃したとあっては面目ない。先生の先刻の、あの意味ありげな微笑は、確に自分の援助を求めた無言の肢体信号《ポーズ・サイン》なのだ――。
やっと茲迄考えついた秋田は、ふと気付くと、もうどうやら隣室の騒ぎも済んだらしく、いつの間にかジャズの音は止んで、只、低い囁く様な話声が聞えていた。が、軈てそれも終ると、どうやら人の立上ったらしい気配がして衣摺《きぬずれ》の音がする。で、急にキッとなった彼は、椅子から飛上ると、扉の前へ野獣の様に立開《たちはだか》った。
と、不意に扉が開いて、大月の背中が現れた。そして、そのタキシードの背中越しに、若い女の艶しい声で、
「まあ、いけませんわ。こんなに戴いては……」
すると大月は、それを両手で押えつける様にして、それから秋田の方を振向きながら、
「君。――何と言う恰好をしているんだ。さあ、お客様のお帰りだ。其処をお通しし給え」
そこで秋田は、眼を白黒させながら、思わず一歩身を引いた。
「ほんとに済みませんわ。――じゃあ、又どうぞ、お遊びにいらして下さいな」
そう言って若い女は、媚《こび》を含んだ視線をチラッと大月へ投げると、秋田には見向きもしないで、到頭その儘出て行って了った。
大月は自分の椅子へ腰を下ろすと、さも満足そうにウエストミンスターに火を点けた。
秋田はどうにも堪らなくなって、到頭大月の側へ腰掛けた。そして、
「一体、どうしたと言うんですか?」
「別に、どうもしやしないさ。が、まあ、兎に角、これからひとつ説明しよう」
そう言って大月は、内ポケットへ手を突込むと、昨日屏風浦の断崖の上で拾った、例の黒く薄い板っぺらの様な小片を取出した。
「これ何んだか、勿論判るだろう? よく見て呉れ給え」
「……何んですか。――ああ。レコードの缺片《かけら》じゃありませんか。これが、一体どうしたと言うんですか?」
「まあ待ち給え。その隅の方に、金文字で、少しばかり字が見えるね」
「ええ。判ります。……arcelona《アルセロナ》――として、Victor《ビクター》・20113――とあります。それから、……チ・フォックストロット――」
「そうだ。その字の抜けているのは、勿論、あの、踊りのバルセロナの事だ。そして、もうひとつの方は、マーチ・フォックストロットだ――ところで、君は、時々ダンスを嗜《たしな》まれる様だが、その踊り方を知ってるかね? その、マーチ・フォックストロットと言《いう》奴《やつ》をだね」
秋田は、図星を指されて急に顔を赤らめた。が、軈て仕方なさそうに、
「二三度名前だけは聞いた事がありますが、僕はまだ習い始めですから、全然踊り方は知らないです」
「ふむ、そうだろう。――実は、僕も知らなかった。が、いま帰って行かれたあの若いお客さんから得た知識に依ると、何でもこのダンスは、四五年前に日本へ伝ったもので、普通に、シックス・エイトって言われているそうだ。欧州では、スパニッシュ・ワンステップと呼ばれているものだよ。そしてその名称の示す様に、このダンスのフ
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