。軈て大月は、ニタニタ笑いながら立上ると、大胯に隣室へ這入って行った。そして、再び彼が出て来た時に、その右手に提げた品を一眼見た秋田は、思わずあっと叫んで立上って了った。
 秋田が声を挙げたも道理、その品と言うのは、今朝三人が屏風浦の別荘を引挙げた時に、比露子夫人の唯一の手荷物であり、秋田自身で銚子駅迄携えてやった、あの派手な市松模様のスーツ・ケースではないか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
「別になにも驚くことはないさ。僕は只、夫人の帰京の手荷物がこのスーツ・ケースひとつであると知った時に、屹度この中に大切な犯人の正体が隠されているに違いないと睨んだ迄の事さ。だから僕は、銚子駅で、親切ごかしに僕自身の手でこ奴をチッキにつけたんだよ。夫人の本邸へではなく、内密で僕のこの事務所《オフィス》を宛名《アド》にしてね。――今頃は屹度岸田の奥さん、大騒ぎで両国駅へ、チッキならぬワタリをつけているだろうよ。只、君は、いつの間にこれが持ち込まれて、隣室の戸棚へ仕舞われたかを知らなかっただけさ」
 そして笑いながら大月は、ポケットから鍵束を出して合鍵を求めると、素早くスーツ・ケースの蓋を開けた。
 見ると、中には、目の醒《さ》める様な水色《ペイルブリユー》のビーチ・コートにパンツと、臙脂色の可愛い海水靴と、それから、コロムビアの手提蓄音器《ポータブル》とが、窮屈そうに押込まれてあった。
「じゃあ一体、『花束の虫』と言うのはどうなったんですか?」
 秋田が訊ねた。大月は煙草に火を点けて、
「さあそれなんだがね、僕は最初その言葉を暗号じゃあないかと考えた。が、それは間違いで、『花束の虫』と言うのは、只単に、上杉の書いた二幕物の命題に過ぎないのだが、僕は、その脚本があの丘の上でジリジリに引裂かれていたと言う点から見て、岸田直介の死となにか本源的な関係――言い換えればこの殺人事件の動機を指示していると睨《にら》んだ。で、先程一寸電話で、瑪瑙座の事務所へ脚本の内容に就いて問い合わせて見た。するとそれは、一人の女の姦通《かんつう》を取扱った一寸暴露的な作品である事が判明した。ところが、事件に於て犯人である夫人は、明かに『花束の虫』を恐れていた。で、僕の疑念は当然夫人の前身へ注がれた訳だ。その目的と、もうひとつスパニッシュ・ワンステップの知識に対する目的とで、僕はあんな馬鹿げたホール回りをした
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