。ほら、こんなにはっきりと検出されました。」
 こう言って司法主任は私達の眼前《めのまえ》ヘ七色に輝く美しい首飾をぶら下げた。成る程、その大粒な連珠の上には、二つの大きな指跡が、はっきりと浮び出ていた。
「ほう、結構ですね」喬介は微笑んだ。
「ところで、済みませんがその水銀とチョークの混じった何んとやら粉を、私にも一寸拝借さして下さい」
 呆気に取られている司法主任の手から、検出用具を借り受けると、捲取機《ローラー》に寄り添って、ハンドルの上へ、灰色の粉を器用な手附きで振り掛け、やがてその上を駱駝《らくだ》の刷毛《はけ》で軽く払い退けた。
「ああ、やっと今気附きましたが、今朝修繕するためにバルーンを降ろした時、瓦斯注入口《ガスゲート》の弁が開いたままになっていました」
 今まで何事か考えていた係の男が、急に口を切ってこう言った。
「弁が開いていた?」
 驚いた様に顔を上げて訊き返した喬介は、暫く考え込んでいたが、
「ほう、非常に有力な証拠だ」
 と、独りで呟くと、再び元の姿勢に戻って、拡大鏡でハンドルの表面を調べながら、係の男に言葉を掛けた。
「君は今朝グローブを嵌《は》めずに此処へ触れたね?」
「ええ、最初バルーンを降ろす時には、修繕するために急いでいましたので――」
 それから喬介は、首飾を司法主任の手から借り受け、ハンドルの上に検出された指紋と、首飾の指紋とを較べ始めた。私も喬介の横へ屈み込んで、両方の指紋を熱心に比較して見た。が、二通りの指紋は、各々全く別個のものである事に私は気附いた。
「ね。君も気附いたろう? ほら、このハンドルの上には、この人の指紋以外に、この首飾の指紋、つまり被害者の指紋は一つも見られない。これでよろしい。さあ、バルーンを静かに降ろして下さい」
 喬介の言葉に、係の男は一寸不審気な表情を見せたが、間もなく作業手袋《グローブ》を嵌めて、捲取機《ローラー》のハンドルを廻し出した。
 一|呎《フィート》。二|呎《フィート》。――広告気球《バルーン》は静かに下降し始めた。
 喬介は拡大鏡を、捲き込まれて行くロープに近附けて鋭い視線をその上に配っていた。が、間もなく三十五、六|呎《フィート》も捲き込まれたと思う頃、広告気球《バルーン》の下降を中止さして、司法主任に声を掛けた。
「犯人を見附けました――」
 喬介のこの言葉に少からず驚いた私達は、喬介の指差した太い麻縄のロープの一部に、深く染み込んでいる少量の赤黒い血痕を認めた。
「これがつまり被害者の頸部の絞傷から流れ出た血痕です。さあ、もうバルーンの用事は済みました。揚げて下さい……ああ一寸待って下さい。全部降しちゃって下さい。まだ一事忘れていた。当っているかいないか、一寸試して見ますから」
 係の男は、呆気《あっけ》に取られたまま、再びクランクを始めた。
 司法主任は、極度の興奮のために歯をカチカチ鳴らしながら、静かに降りて来る広告気球《バルーン》と、喬介の横顔と、そうして係の男の挙動とを、等分に見較べながらつっ立っていた。
 やがて広告気球《バルーン》が降り切って、その可愛い天体の様な姿を私達の頭上に横たえると、喬介は瓦斯注入口《ガスゲート》の弁を開いてその中へ細い手首を差し込み、暫く気嚢の内底部を掻き廻していたが、間もなく美しい首飾を一つ取り出した。
「図太い野郎だ!」
 司法主任が係の男にとびかかろうとした。
「お待ちなさい。人違いですよ。犯人はバルーンです。この軽気球です。ほら、これを御覧なさい」
 喬介が、瓦斯注入口《ガスゲート》の金具、弁、新しく発見された首飾の三点に、先程の「灰色粉」を振り掛けて刷毛で払うと、三点共に同じ様な幾つかの指紋が、見る見る検出されて来た。
「御覧なさい。この人の指紋ではないでしょう?」
「ふーむ。確かに被害者野口達市の指紋だ」
 司法主任はまるで狐につままれた態《かたち》だ。喬介は私の方を振向いた。
「君。済まないがね。中央気象台へ電話を掛けて、昨晩の東京地方の気象を問い合せて下さい」
 喬介の命ずるままに六階へ降りた私は、其処の電話室で任務を済ますと、結果をノートヘ記入して再び屋上へ帰って来た。喬介は、私の渡したノートを受け取ると、
「いや、有難う。753粍《ミリ》の低気圧と西南の強風か。さあ、もう用事は済みましたからバルーンを揚げて下さい。さて、これから結論の説明に移りましょう」
 言い終ると喬介は、上昇して行く広告気球《バルーン》を見上げながら煙草に火を点け、静かに口を切った。
「私は先ず、第一に、犯人は宿直員以外の強力な男である事、――この場合戸締りが厳重であった事を考慮に入れて置く――。第二に、犯行は屋上で為《な》された事、――この場合植込みにも鉄柵にもタイル床の上にも、何等の痕跡がないと言う消極的な手
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