渡った大空の一角に眼をやった。と、彼はその両の眼を生き生きと輝かせながら、東側の露台へ向って大股に歩き出した。
 その露台では、今まさに大きな灰色の広告気球《バルーン》が、その異様な姿態を晒《さら》け出して、愉快な青空の中へ、むくむくと上昇し始めていた。私は思わず息を吸い込んだ。
 が、そこで私の驚いた事には、広告気球《バルーン》を揚げ掛けた気球係の男を捕えて、喬介は冷たい訊問を始めた。
「君は今朝何時に此処《ここ》へ来たかね?」
「ええ、実は昨晩少し天候が悪かったものですから責任上心配して、今朝は何日《いつ》もより少し早く六時半に出勤しました」
 捲取機《ローラー》のハンドルを逆回転させながら、係の男は愛想よく答えた。
「すると君は、六時半にこのバルコニーヘ出た訳だね?」
「いいえ違います。六時半と言うのは店へ着いた時間でして、それからあの事件の噂を聞いたり屍体を見たりしていたものですから、此処へ上った時はもう七時でした」
「その時、このバルコニーの上で何にか変った処はなかったかね?」
「別に気附きませんでしたが、ただ、瓦斯《ガス》のホースが乱雑に投げ出されてあり、バルーンは非常に浮力が減って、フニャフニャになりながら、今にも墜《お》ちそうに低い処で漂っていました。が、これは天候の荒れた後によくあることです」
「バルーンは夜中にも揚げて置くのですか?」
「ええ、下に降ろして繋留《けいりゅう》して置くのが普通ですが、天候を油断してそのままにして置く時もあるのです」
「バルーンの浮力が減ったと言うのは?」
「気嚢《きのう》に穴が明《あ》いていたのです。もっともその穴は、一月程前に一度修繕した事のある穴ですが――」
「ははあ、それで君は先程気嚢の修繕をしていたのだね。ところで、このバルーンの浮力はどれ位あるかね?」
「標準気圧の元では600瓩《キロ》は充分あります」
「600瓩《キロ》と言うと随分な重量だねえ。いや、有難う」
 訊き終ると喬介は、広告気球《バルーン》のロープに着いて揚《あが》って行く切り抜きの広告文字《サイン》を見詰めた。
 ちょうど広告気球《バルーン》が完全に上昇してロープが張り切った時に司法主任がやって来た。
「やあ、皆さんそんな処で深呼吸をしているのですか! いや、非常に結構な事です。ところでどうですか。首飾の指紋はやっぱり被害者野口のものでしたよ
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