傍《かたえ》の警官には眼も呉《く》れず、こう声を掛けた。
『矢島君。さあひとつ、潔《いさぎよ》く言って呉《く》れ給え。山田源之助の屍体を運んで行って、この海の中のどの辺へ沈めたのかって事をだね。多分原田喜三郎と同じ場所なんだろう?』
『…………』
 矢島は黙って喬介を睨《にら》み付けていた。
『君、言えないのかね。え? じゃあ仕方がない。僕がその場所を知らしてあげよう。』
 喬介は涼しい顔をして一号|船渠《ドック》の方へ飛んで行《ゆ》くと、間もなく、今|入渠船《にゅうきょせん》の据付《すえつけ》作業を終ったばかりの潜水夫《もぐり》を一人連れて来た。
 潜水夫《もぐり》は私達の立っている近くの岸壁まで来て、暫く何か喬介から指図《さしず》を受けていたが、軈《やが》て二人の職工を呼び寄せると、気管《ホース》やポンプの仕度《したく》を手伝わせ、間もなく岸壁に梯子を下げて、直《す》ぐ眼の前の海の中へ這入《はい》って行った。十分程すると、私達の立っている処《ところ》より少しく左に寄《よ》って、第二号|船渠《ドック》の扉船《とせん》から三|米《メートル》程|隔《へだた》った海上へ、夥《おびただ》しい泡が真黒《まっくろ》な泥水と一緒に浮び上って来た。
 この時、私達の耳元で、恐しい野獣の様な唸《うな》り声が聞えた。振り向くと、矢島五郎が、鼻の頭をびっしょりと汗で濡らし、真っ青《さお》になりながら唇を噛み締めて地団駄《じたんだ[#「じたんだ」はママ]》踏んでいる。喬介は微笑《ほほえ》みながら再び海上へ眼を遣《や》った。五分程すると、梯子の下へ潜水夫《もぐり》が戻って来た。見ると、原田喜三郎と同じ様に、両腕を後手に縛りあげられた屍体を、背中に背負っている。
『あッ! 源さんだ。』
 今までポンプを押していた職工の一人が、突飛《とっぴ》もない声で叫んだ。矢島は、ガックリと顔を伏せてその場へ坐り込んで了《しま》った。
 源之助の屍体には、喜三郎の屍体に見られた様な打撲傷や擦《かす》り傷はなかった。只《ただ》、心臓の上に、同じ様な刺傷があるだけだ。
『古い鉄の歯車の大きな奴を重《おもし》にしてありましたよ。迚《とて》も持って来れませんので、途中で綱を切って了《しま》ったんです。そう言えば、もう一本中途でむしり取った様に切れた綱が重《おもし》に着いていましたが、あれに喜三郎さんの屍体が縛り付けてあったんでしょうなあ――』
 仕事を終った潜水夫《もぐり》は、そう言って大きく息を吸い込んだ[#「吸い込んだ」は底本では「吸い込だ」と誤記]。
 喬介は、矢島の肩に手を掛けながら、
『君。もう一つ訊くがね。工場の裏で二人に逢った時に、何故話を丸くしないでこんな酷《むご》い事をして了《しま》ったのかね?』
 喬介の質問に、キッと顔を挙《あ》げて矢島は、自棄糞《やけくそ》に高い声で喋り出した。
『こうなりゃあ、何も彼《か》もぶちまけちまうよ。三年前まで二人はあっし[#「あっし」に傍点]と一緒に天祥丸に乗り組んでいたんだ。ところが丁度《ちょうど》天祥丸がまだ新品[#「新品」に傍点]で南支那《みなみしな》へ遠航[#「遠航」に傍点]をやってた時だ。この前の船長で、しこたまこれ[#「これ」に傍点]を持ってた柿沼って野郎を、あっし[#「あっし」に傍点]が暴風《しけ》の晩に海ん中へ叩ッ込んで、ユダ[#「ユダ」に傍点]みてえに掴み込んでやがった金をすっかりひったく[#「ひったく」に傍点]ったのを二人が嗅ぎ付けて了《しま》ったんだ。そ奴《いつ》をあの晩ゴタゴタ並べて強請《ゆす》りに来たんだ。だから片付けちまったんだ。只《ただ》、それだけさ。』
『いやどうも、色々有り難う。』
 喬介はそう言って、警官に眼で合図した。
 喬介は、重苦しい冬の海を見詰めながら語り始めた。
『どうして源之助も殺されていると言うことが判ったのかだって? そりゃあ君、前後の事情を考え合せて、殆《ほとん》ど直感的にそう推定したんさ。すると君は、じゃあ何故《なぜ》源之助の屍体の沈められた場所が、あんなに簡単に判ったかって言うだろう。その説明は、山田源之助と一緒に殺された原田喜三郎の屍体が、今朝発見されるまでの行程を一通り説明すれば、それで充分なんだ。つまり、あの鉄工場の裏で突き殺された二つの屍体は、此処《ここ》まで運ばれ、重《おもし》を附けられて海中へ投げ込まれる。丁度《ちょうど》二号|船渠《ドック》の扉船《とせん》の直《す》ぐ側だ。それから四日|経《たっ》て昨日の晩だ。修繕の終った天祥丸は、K造船工場に暇乞《いとまご》いをして芝浦へ急行しなければならない。そこで出渠《しゅっきょ》の作業が始まる。第二号|乾船渠《ドライ・ドック》の扉門《ともん》の注水孔は、バルブを開いて、恐しい勢《いきおい》で海水を船渠《ドック》の中へ吸い込み始める。すると渠門《きょもん》の近くの海中へ重《おもし》を着けられて沈められ、綱の長さでコンブ[#「コンブ」に傍点]見たいにふわりふわりしていた屍体はどうなる? 何《な》んの事はない面喰《めんくら》った魚と同じ事だよ。直径二尺五寸の鉄の穴に、傷だらけになりながら恐しい力で吸い込まれ、コンクリートの渠底《きょてい》へ叩き付けられるんだ。丁度《ちょうど》その日天祥丸のセーラーが、誤ってぶちまけたと言う機械油の上を、惰性[#「惰性」は底本では「隋性」と誤記]の力で押し流される。軈《やが》て船渠《ドック》が満水になると、渠門《きょもん》は開かれて天祥丸は小蒸汽《こじょうき》で曳《ひ》き出される。浮力の加減で船底《せんてい》にハリツイていた喜三郎の屍体は、その儘《まま》連れ出されて外海《そとうみ》へ漂流する訳だ。勿論《もちろん》、源之助の屍体がそんな眼に逢《あ》わなかったのは、屍体の位置と注水孔との距離の遠近とか、重《おもし》に縛られた綱の長短とかが影響していたに違いないんだ――。』
 喬介は語り終って莨《たばこ》の吸殻を海の中へ投げ込んだ。
『じゃあ一体、二人が矢島を強請《ゆす》ったとか、話を丸く収めなかったのが、つまりこの事件の動機だね。ありゃあ一体どうして判ったのかね?』
 私は最後の質問を発した。
『ハッハッハッハッ――あ奴《いつ》ぁ僕にも、矢島が自白するまでは少しも判らなかったよ。只《ただ》、前後の事情を考えて見て、何故《なぜ》話を丸くしなかったのか――なんてカマ[#「カマ」に傍点]を掛けて見た丈《だ》けなんだ。』



底本:「新青年 復刻版 昭和7年12月(13巻14号)」本の友社
   1990年10月発行
※この作品は、「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。なお、底本のルビは適宜取り除き、現代の送り仮名と異なる漢字と難読語にふりがなを残しました。また、文中の接続詞の「迄」は読み易さを考えて「まで」に変えています。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:小林繁雄
2001年12月21日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 
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