るに従って、追々にやり切れなくなって来たんです。そしてとうとう、当時より三年前の或る秋の夜――恰度その夜は冷い時雨《しぐれ》がソボソボと降っておりましたがな――H駅の近くの陸橋《ブリッジ》の下で、気の狂った四十女の肉体を轢潰《ひきつぶ》してしまった時から、「オサ泉」の主張で彼等の間に、ひとつの風変りな自慰が取上げられたんです。と言うのは、つまり被害者の霊に対するささやかな供養の意味で、小さな安物《やすもん》の花環を操縦室《キャッブ》の天井へ、七七日の間ブラ下げて疾走《はし》ると言う訳なんです。二人は早速それを実行に移しました。
この一寸した催しは、間もなく同じ職場の仲間達の間に俄然いい反響を惹起しました。そして人々は、この髭男の感傷に対して、一様に真面目な好感を抱く様になって来たんです。さあそうなると可笑しなものでしてな、「オサ泉」も助手の杉本も、追々に心から自分達の思い付きが如何にも張合のある有意義な営みの様に思われて来て、その後も相変らず事故の起った度毎に、新しい花環を操縦室《キャッブ》の天井へ四十九日間ブラ下げる事を殊勝にも忘れようとはしなかったんです。そして何日《いつ》の頃からとなく人々は、D50・444号を、「葬式《とむらい》機関車」と呼ぶ様になっていたんです。
いや、学生さん。
ところがここ二年前の冬に到って、このD50・444号が、実に奇妙な事故に、しかも数回に亙って見舞われたんです。
それは二月に這入《はい》って間もない頃の、霜《しも》の烈しい或る朝の事でした。
当時一昼夜一往復でY――N間の貨物列車運転に従事していたD50・444号は、定刻の午前五時三十分に、霜よりも白い廃汽《エキゾースト》を吐き出しながら、上り列車としてH駅の貨物ホームに到着しました。
で、早速ホームでは車掌、貨物掛等の指揮に従って貨物の積降《つみおろし》が開始され、駅助役は手提燈《ランプ》で列車の点検に出掛けます――。一方、機関助手の杉本は、ゴールデン・バットに炉口《プアネス》の火を点けてそいつを横ッちょに銜《くわ》えると、油差を片手に鼻唄を唄いながら鉄梯子《タラップ》を降りて行ったんです。
が、間もなく杉本は顔色を変えて物も言わずに操縦室《キャッブ》へ馳け戻ると、圧力計《ゲージ》と睨めッくらをしていた「オサ泉」の前へ腰を降ろし、妙に落着いて帽子と手袋を脱《と》り痩せた掌《て》の甲へ息を吹掛けると、そいつで鼻の下の煤を綺麗に拭き取ったんです――これが、機関車の車輪に轢死者の肉片が引ッ掛っていた場合の、杉本の一種の合図、と言いますか、まあ、癖なんです。一寸断って置きますが、あの巨大な機関車が、夜中に人間の一匹や二匹を轢殺《ひきころ》したかって、乗務員が知らン顔をしている様な事はいくらもあるんですよ。
で、「オサ泉」は気を悪くして立上りました。そして黄色い声で駅員達を呼び寄せるのです。――間もなく助役の指図で機関車は臨時に交換され、D50・444号は二人の乗務員と共に機関庫へ入院させられました。
ここで二、三名の機関庫掛員に手伝われて、機関車の一寸した掃除が始まるんですが、およそ従業員にとってこの掃除程厄介な気持の悪いものは、そうザラにはありませんよ。例えば轢死者が腕を千切られたとか、両脚を切断されたとか、或は胴体と首が真ッ二つに別れたとか、ま、そう言う風に割に整ったまるで刃物で傷付られた時の様な、サッパリした殺され方をした場合には、機関車の車輪には時たまひからびた霜降りの牛肉みたいな奴が二切三切引ッ掛っている位のもので、後《あと》はただ処々に黒い染《しみ》がボンヤリ着いて見えるだけなんです。で、そんな場合には少し神経の春めいた男でしたなら、なんの事はないまるで肉屋の賄板《まないた》を掃除するだけの誠意さえあれば事は足りるんですが、一旦轢死者が、機関車の車台《トラック》のど真ン中へ絡まり込んで、首ッ玉を車軸の中へ吸い込まれたり、輪心《ホイル・センター》や連結桿《コンネクチング・ロッド》に手足を引掛けられて全速力で全身の物凄い分解をさせられた場合なんぞは、機関車の下ッ腹はメチャメチャに赤黒いミソ[#「ミソ」に傍点]を吹き着けられて、夥しい血の匂いを、発散するんです。そして又そんな時には、きまって被害者の衣服はそれが男の洋服であろうと女のキモノであろうと着ぐるみすっかり剥《は》ぎ千切られて、機関車の下ッ腹の何処かへ引ッ掛ってしまうんです。こんな場合の車の掃除が、所謂「ミソ[#「ミソ」に傍点]になる轢死者」でして、機関庫の人々をクサらせるんです。
ところで、いま、転車台でクルリと一廻りして扇形機関庫《ラウンド・ハウス》へ連れ込まれたD50・444号ですが、一寸調べて見ると、何処でいつの間に轢潰《ひきつぶ》して来たのか、こいつがそ
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