度聞かせて見てくれませんか?」
 この質問には流石《さすが》に安藤巡査も呆《あき》れたと見えまして、暫く眉根を顰《しか》めながら考えを絞っていましたが、やがて顔を挙げると、
「……会社、と言ってもH銀行の支店ですが、町役場、信用組合事務所、農蚕学校、小学校、まあ日曜日に休むのはそんなものです。製糸工場は、確か一日《ついたち》と十五日。床屋は七のつく日で月に二回、銭湯は五のつく日でやはり月に二回、それだけが公休で毎週ではありません……ええと、それから繭市《まゆいち》はまだ出ませんが、卵市《たまごいち》なら五日置きにあります……まあ、その他には……そうそう、農蚕学校で毎週土曜日の午後に農科の一寸したバザーがある位のものです」
「ははあ、その農蚕学校のバザーでは何を売るんですか?」
 そこで安藤巡査はこう答えました。
「農科の方ですから、主として学生達の栽培した野菜や果実、草花などです。……仲々繁昌します」
 すると片山助役は、その答弁にどうやら元気をつけられたらしく今度は話題を変えて、
「犯人がまだ挙げられないとしますと、捜査や、事後の警戒はどうなっていましょうか?」
 すると安藤巡査は昂然として、
「勿論処置は取ってあります。しかしどうも、手不足でしてな」
「いや、何分《なにぶん》お願いします。でも、却って余り騒がない方がいいと思います。じゃあ、もうこれ位で……」
 助役はそう言って、部下の機関庫係員や案内役を促しました。そして一行は、間もなく静かな夕暮のB町を引挙げたんです。
 ――一体、機関庫助役の片山と言う人は、もう部下達も相当期間|交際《つきあ》ってたんですが、どうもまだ、時々人を不審がらせる様な変な態度に出るのが、彼等には甚だ遺憾に思われてたんです。何故って、例えばB町を引挙げた助役は、H機関庫に帰って来ると、直ちに翌日からまるで「葬式《とむらい》機関車」の奇妙な事件なぞはもう忘れてしまった様に、イケ洒蛙洒蛙《しゃあしゃあ》と平常《ふだん》の仕事を続け出したんです。二日|経《た》っても、三日経っても依然としてそのままなんです。で、堪えかねた部下の一人が五日目の朝になってその事を詰問? すると、その又返事が実に人を喰っとるんです。「だって君。何もする事がなければ仕方がないじゃあないか」――てんですよ。
 でも、その日の真夜中になって、助役のこの態度はガラリと一変しました。
 それは多分、夜中の三時頃でしたでしょうか、助役は部下の一人――吉岡と言う男ですが――を叩き起して外出の支度をすると、眠《ね》不足でフラフラしている彼を引張る様にして、自動車に乗り込んだのです。
 何処《どこ》をどう疾《はし》ったのか吉岡には一向に判りませんでしたが、とにかく半時間近くも闇の中を飛ばし続けた片山助役は、と或る野原で自動車を降りると、自動車《くるま》は其処へ待たして置いて、吉岡へ静かに従《つ》いて来る様|眼配《めくば》せして傍らの松林へ這入って行ったんです。吉岡は段々眼が覚《さ》めて来ました。そして間もなく灌木の間の闇の中へ助役と二人でどっかと腰を下ろした時には、彼等の前方十|間《けん》位の処が松林の外《はず》れになっていて、その直ぐ向うはあのB駅に近いカーブの鉄道線路である事が判ったんです。夜露で、寒くなって来るにつれて、吉岡の頭は少しずつハッキリして来ました。そして追々に助役のしている事が判って来たんです。助役の腕の夜光時計は四時三十分を指しています。成る程考えて見ればいまはまさに三月十一日――日曜日の早朝です。あの奇怪な豚盗人が、五度《いつたび》ここへやって来るものと助役は睨んでいるに違いない――そう思うと吉岡は一層身内が引緊《ひきしま》る様な寒気を覚えて、外套の襟に顔を埋めながら助役の側へ小さくなってしまいます。
 恰度四時四十二分に夜行の旅客列車が物凄い唸りを立てて、直ぐ眼の前の上り線路を驀進《ばくしん》して行きました。そして辺《あたり》は再び元の静寂《しじま》に返ったのです。が、それからものの五分と経たない内に、助役が急にキッとなって吉岡の肩先をしたたかにこ[#「こ」に傍点]突いたんです。
 吉岡は思わず固唾《かたず》を飲みました。
 ――成る程、桑畑の間の野道の方から、極めて遠くはあるが、小さな、低い、それでいて何となく満足そうな豚の鳴声が夢の様に聞えて来ます。
 二分もする内に追々にその声は近附き、間もなく道床の砂利を踏む跫音《あしおと》が聞えて、線路の上へ真ッ黒い人影が現れました。星明りにすかして見れば、どうやら外套らしいものの裾にズボンをはいた足が見えます。そしてその足の向側を、今度は何処の農家から盗まれて来たのか大きな白豚が、ヴイ、ヴイ、と鳴きながら縄らしいもので引かれて来るんです。男は時々腰を屈めては何か餌らしいも
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