痩せた掌《て》の甲へ息を吹掛けると、そいつで鼻の下の煤を綺麗に拭き取ったんです――これが、機関車の車輪に轢死者の肉片が引ッ掛っていた場合の、杉本の一種の合図、と言いますか、まあ、癖なんです。一寸断って置きますが、あの巨大な機関車が、夜中に人間の一匹や二匹を轢殺《ひきころ》したかって、乗務員が知らン顔をしている様な事はいくらもあるんですよ。
 で、「オサ泉」は気を悪くして立上りました。そして黄色い声で駅員達を呼び寄せるのです。――間もなく助役の指図で機関車は臨時に交換され、D50・444号は二人の乗務員と共に機関庫へ入院させられました。
 ここで二、三名の機関庫掛員に手伝われて、機関車の一寸した掃除が始まるんですが、およそ従業員にとってこの掃除程厄介な気持の悪いものは、そうザラにはありませんよ。例えば轢死者が腕を千切られたとか、両脚を切断されたとか、或は胴体と首が真ッ二つに別れたとか、ま、そう言う風に割に整ったまるで刃物で傷付られた時の様な、サッパリした殺され方をした場合には、機関車の車輪には時たまひからびた霜降りの牛肉みたいな奴が二切三切引ッ掛っている位のもので、後《あと》はただ処々に黒い染《しみ》がボンヤリ着いて見えるだけなんです。で、そんな場合には少し神経の春めいた男でしたなら、なんの事はないまるで肉屋の賄板《まないた》を掃除するだけの誠意さえあれば事は足りるんですが、一旦轢死者が、機関車の車台《トラック》のど真ン中へ絡まり込んで、首ッ玉を車軸の中へ吸い込まれたり、輪心《ホイル・センター》や連結桿《コンネクチング・ロッド》に手足を引掛けられて全速力で全身の物凄い分解をさせられた場合なんぞは、機関車の下ッ腹はメチャメチャに赤黒いミソ[#「ミソ」に傍点]を吹き着けられて、夥しい血の匂いを、発散するんです。そして又そんな時には、きまって被害者の衣服はそれが男の洋服であろうと女のキモノであろうと着ぐるみすっかり剥《は》ぎ千切られて、機関車の下ッ腹の何処かへ引ッ掛ってしまうんです。こんな場合の車の掃除が、所謂「ミソ[#「ミソ」に傍点]になる轢死者」でして、機関庫の人々をクサらせるんです。
 ところで、いま、転車台でクルリと一廻りして扇形機関庫《ラウンド・ハウス》へ連れ込まれたD50・444号ですが、一寸調べて見ると、何処でいつの間に轢潰《ひきつぶ》して来たのか、こいつがそ
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