、黒々と燻《すす》けた、古い、大きな姿体の機関車があります。形式、番号は、D50・444号で、碾臼《ひきうす》の様に頑固で逞しい四対《よんつい》の聯結主働輪の上に、まるで妊婦《みもちおんな》のオナカみたいな太った鑵《かま》を乗《のっ》けその又上に茶釜の様な煙突や、福助頭の様な蒸汽貯蔵鑵《ドオム》を頂いた、堂々たる貨物列車用の炭水車付《テンダー》機関車なんです。
 ところが、妙な事にこの機関車は、H駅の機関庫に所属している沢山の機関車の中でも、ま、偶然と言うんでしょうが、一番|轢殺《れきさつ》事故をよく起す粗忽《そこつ》屋でして、大正十二年に川崎で製作され、直《ただち》に東海道線の貨物列車用として運転に就いて以来、当時までに、どうです実に二十数件と言う轢殺事故を惹《ひき》起して、いまではもう押しも押されもせぬ最大の、何んと言いますか……記録保持者《レコード・ホルダー》? として、H機関庫に前科者の覇権を握っていると言う、なかなかやかましい代物です。
 ところでここにもうひとつ妙な事には、この因果なテンダー機関車にまことに運が悪いと言いますか、宿命とでも言うのですか、十年近くもの永い歳月に亙って、機関車が事故を起す度毎《たびごと》に、運転乗務員として必ず乗込んでいた二人の気の毒な男があったんです。
 一人は機関手で長田泉三《おさだせんぞう》と言いましてな、N鉄道局教習所の古い卒業生で、当時年齢三十七歳、鼻の下の贋物のチョビ髭を取ってしまえば何処となく菊五郎《おとわや》張りの、デップリした歳よりはずっと若く見える大男で、機関庫の人々の間ではもろ[#「もろ」に傍点]に「オサ泉《セン》」で通用《とお》っていました。で、後の一人は、機関助手の杉本福太郎《すぎもとふくたろう》と言うまだ三十に手の届かぬ小男でして、色が生白く体が痩せていて、いつも鼻の下にまるで「オサ泉」の髭の様に、煤《すす》をコビリ着かせている奴なんです。
 二人共呑気屋で、お人好で、酒など飲んだ後などはただわけもなく女共に挑《いど》み掛っては躁《はしゃ》ぎ廻る程の男なんですが、それでもD50・444号の無気味な経歴に対しては少からず敬遠――とでも言いますか、内心よんどころない恐怖を抱いていたんです。で二人共最初の内はそんな恐怖など互いにオクビにも出さない様にしていたんですが、そうした余り気持のよくない事故が度重な
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