将がそんなに何度も証人をした女だなんてことは、つい気づかずにいたんです。ところが、菱沼弁護士は、さアもう不審でたまりません。……けれどもこれとても偶然――と云ってしまえば、それまでですし、検事側でも一旦証人を採用するからには、むろん相当な吟味もした上でのことですから、うっかりこちらで早まった騒ぎかたをして、挙げた足をとられるようなことになってもやり切れない、と菱沼さんは考えたんです。で、幸いその日の公判は、それでひとまず閉廷になりましたし、判決までにはまだまだかなり間がありそうに思えたので、この上は、次回の公判までに、ひょっとすると「つぼ半」の女将は、ありもしない偽《いつわ》りの証言をしてるのかも知れないから、是が非でも徹底的に調べ上げて、あわよくば裁判を逆の結果に導こうと、ま、そう云う悲壮な決心をされたんですよ。
いや、まったく、それからの菱沼さんの真剣ぶりと来たら、ハタで見る目も恐ろしいくらいでしたよ……むろん他にもいくつかの事件に関係している忙しい体ですから、毎日役所へは出て来られましたが、それでも流石《さすが》に、ひどく鬱《ふさ》ぎ込んでる日が多かったですよ。
なんでも、あとで聞いた話ですが……まず最初に菱沼さんは「つぼ半」の女将が贋《にせ》の証言をしていると仮りにきめて、それでは何故そんな無茶な証言をしたか、つまり殺人事件の被告と女将との間に、なにか秘かな怨恨関係でもありはしないか、と云う点に全力を注いでみたんです……ところが、どう調べて見たってこれがサッパリ駄目なんで、そんな関係はこれッぽちも出て来ません。そこでうんざりして、今度は記録を辿って、前の放火事件と洗濯屋事件について、……これはもう判決済みですから調査もなかなかでしたでしょうが……とにかく、同じように情実関係なり怨恨関係なりを、つまり前にそれぞれ一度ずつ係りの手によって調べられたことを、又むし返して洗い立ててみたんです……いや、むろんこれも駄目でした。三つの事件のどの被告とも「つぼ半」の女将はなんの関係もないアカの他人と、云うことになるんです……
もっとも、この調べのお蔭で、女の身許も大分明るくなっては来たんですがね……なんでも、「つぼ半」ってのは、堂々と店は構えているんですが、近頃不景気のあおりを喰らって、御多分に洩れずあんまり大して流行《はや》らないってんです。しかしところがそれにもかかわらず、金廻りは割によくて、つまり内福なんですね……暮し向きは、なかなか派手だってんですよ……
なんでも菱沼さんは、一度なぞ女将の留守を狙って、お客に化けて「つぼ半」へ上ったそうですよ……それで、女中をとらえて、それとなく調べてみたんだそうですが、この福田きぬってのは、むろんその店の経営者なんですが、これにその、よくあるやつですが「時どき来られる旦那様」ってのがやっぱりあるんですよ。それで、
「商売は不景気でも、女将さんは儲けるそうだね?」
って訊くと、まるでちゃあーんと仕込まれた九官鳥みたいな調子で、
「そりゃア旦那様が、競馬で儲けて下さるんでしょう?……」
ってその女中が云うんだそうです。
――成る程、これで旦那も女将も、競馬が好きだってことは判る……だがしかし、旦那が儲けるのか、女将が儲けるのか、そんなことはあて[#「あて」に傍点]になるもンか!
菱沼さんは、そう思いながら引挙げたそうですが、しかしこの程度のことが判っただけでは、まだまだまるで調べのラチはあきません。
そうこうするうちに、一方、次回公判の期日が目の前に迫って来ます……さアそうなると、菱沼さんは、ひとかたならずヤキモキしはじめました。そこで今度は「つぼ半」の女将の証言を、逆にひっくり返すような証拠はないかと探しにかかったんです……
けれども、むろんこいつが、なかなかみつかりません……いや、もともと女将が証人に立ったと云うのも、ご承知のように、なにもシッカリした証拠物件があるわけじゃアなく、どれもこれも、被告を見たとか見なかったとかッて云うような、ただ口先だけの証言ばかりですから、女将自身にとっても、うそ[#「うそ」に傍点]は云わぬと宣誓しただけで確かに見たとか見なかったとかの証拠はないと同じように、一方菱沼さんにとっても、それはみなうそ[#「うそ」に傍点]だ、と云い切るだけのチャンとした証拠はないわけなんです。でこの場合、女将の証言はあれはみなうそ[#「うそ」に傍点]だとやッつけるためには、なぜうそ[#「うそ」に傍点]だと云うその証拠――つまり、女将と被告達との間にそれぞれナニかの特別な関係があったとか、或はまたその他に、ナニか女将がそんなうそ[#「うそ」に傍点]を云わねばならなかったようなこれまた別のわけ[#「わけ」に傍点]がなくっちゃアならんわけです。ところがその特別の関係
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