――何故《なぜ》恐《こは》くない。
 答《こた》へていふには、
 ――何《なん》の恐《こは》いものですか、真白《まつしろ》な方《かた》ですもの。
 この時《とき》涙《なみだ》はらはらと湧《わ》いて来《き》た。地面《ぢめん》に身《み》を伏《ふ》せ、気味《きび》の悪《わる》い唇《くちびる》ではあるが、土《つち》の上《うへ》に接吻《せつぷん》して大声《おほごゑ》に叫《さけ》んだ。
 ――あたしは癩病《らいびやう》やみぢやないか。
 ティウトンの児《こ》はしげしげと視《み》てゐたが、透《す》きとほつた声《こゑ》で答《こた》へた。
 ――知《し》りません。
 さてはわが身《み》を恐《こは》がらないのか、ちつとも恐《こは》いと思《おも》つてゐない。この児《こ》の眼《め》には、あたしの恐《おそ》ろしい白栲《しろたへ》が、御主《おんあるじ》のそれと同《おな》じに見《み》えるのだ。急《いそ》いであたしは一掴《ひとつかみ》の草《くさ》を毟《むし》つて、此児《このこ》の口《くち》と手《て》を拭《ふ》いてやつて、かう言《い》つた。
 ――安《やす》らかに、おまへの白《しろ》い御主《おんあるじ》の下《もと》へ行《ゆ》け、さうして、あたしをお忘《わす》れになつたかと申上《まをしあ》げて呉《く》れよ。
 幼児《をさなご》は黙《だま》つて、あたしを見《み》つめてくれた。この森蔭《もりかげ》の端《はづれ》まであたしは一緒《いつしよ》に行《い》つてやつた。此児《このこ》は顫《ふる》へもしずに歩《ある》いて行《ゆ》く。終《つひ》にその赤《あか》い髪《かみ》の毛《け》が、遠《とほ》く日《ひ》の光《ひかり》に消《き》えるまで見送《みおく》つた。「幼児《をさなご》の御主《おんあるじ》よ、われをも拯《たす》け給《たま》へ。」このかた、かた、いふ木札《きふだ》の音《おと》が、浄《きよ》い鐘《かね》の音《ね》の如《ごと》く、願《ねが》はくは、あなたの御許《おんもと》までも達《とゞ》くやうに。頑是無《ぐわんぜな》い者《もの》たちの御主《おんあるじ》よ、われをも拯《たす》け給《たま》へ。



底本:「定本 上田敏全集 第一巻」教育出版センター
   1978(昭和53)年7月25日発行
底本の親本:「上田敏全集 第二巻」改造社
   1928(昭和3)年
初出:「三田文学 第四巻第三号」
   1913(大正2)
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