A永遠の夜の波の上に、辛らく差上げたこの蒼白の皺顔を君の御前に向け奉る。わが世の終《はて》の日数の経ちゆく如く、この痩せ細つたる手指をそうて、わが指金《ゆびがね》も滑《すべ》り落ちる。
 神よ、予はこの世に於ける君が御名代として、信仰の浄い葡萄酒を湛へた、このわが凹めたる手を捧げ奉る。世に大なる犯《をかし》がある、極めて大なる犯《をかし》がある。吾等は之を赦免し得る。世に大なる異端がある、極めて大なる異端がある。吾等は仮借せずに之を罰せねばならぬ。白衣を着けて、金薄《きんぱく》も脱落したこの密房に跪く時、予は烈しい苦悶に悩んでゐる。主《しゆ》よ、世の中の犯と異端とは壮大なるわが法王職の領分に属するか、或はまた一介の老人が単に合掌するこの光の圏内に属するかを判じ難いからである。また君が御墓についても悩んでゐる。御墓はいつも異教徒にとり巻れてゐる。これが恢復を計る者も無い。今はたれも聖地に向つて君が御くるすを導くことなく、われらは皆昏々として眠つて居る。騎士は物の具を収め、国王は指揮を忘れた。主《しゆ》よ、われはまた胸をうつて、自ら責めてゐる。弱い哉、老いたる哉。
 廊堂のこの狭い密房に立
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上田 敏 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング