郎氏の筆になる「水野仙子氏の作品について」といふところを讀んでみるとかういふ所がある。
[#ここから1字下げ]
「仙子氏の藝術生活には凡そ三つの内容があつたやうに思はれる。第一に於て、彼の女は自分の實生活を核心にして、その周圍を實着に――年若き女性の殉情的傾向なしにではなく――描寫した。そしてそこには當時文壇の主潮であつた自然主義の示唆が裕かに窺はれる。第二に於て、作者は成るべく自己の生活をバツク・グラウンドに追ひやつて、世相を輕い熱度を以て取扱つて、そこに作家の哲學をほのめかさうとしたやうに見える。第三に至つて、作者は再び嚴密に自己に立還つて來た。而して正しい客觀的視角を用ゐて、自己を通しての人の心の働きを的確に表現しようと試みてゐる。」
[#ここで字下げ終わり]
と書いてゐるが、全く其通りであると私は痛切に感心して此批評を讀んだ。
水野仙子氏は私たちはお貞さんの通稱で呼びなれてゐたから、以下私はやはり其名で書いて行き度いと思ふ。それは水野仙子といふのは筆名であつて、本名は服部貞子といふのであつた。水仙の花を好む所から水の仙と書いたのがだんだん本名のやうになり、つひに水野仙子と自分
前へ
次へ
全17ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
今井 邦子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング