要なる根幹をなすものであるが、我国の著作権法は極めて不完全なものであり、しかもその不完全なる保証さえ、実際においてはしばしば蹂躙されてきた。しかし、既成芸術の場合は不完全ながらも一応著作権法というものを持つているからまだしもであるが、映画芸術に関するかぎり日本には著作権法もなければ、したがつて著作権もないのである。もつとも役人や法律家にいわせれば、映画の場合も既存の著作権法に準じて判定すればいいというかもしれないが、それは映画というものの本質や形態を無視した空論にすぎない。なぜならば現存の著作権法は新しい文化部門としての映画が登場する以前に制定されたものであり、したがつて、立法者はその当時においてかかる新様式の芸術の出現を予想する能力もなく、したがつて、いかなる意味でも、この芸術の新品種は勘定にはいつていなかつたのである。
次に、既存の著作権法は主としてもつぱら在来の印刷、出版の機能を対象として立案されたことは明白であるが、このような基礎に立つ法令が、はたして映画のごとき異種の文化にまで適用ができるものかどうか、それは一々こまかい例をあげて説明するまでもなく、ただ漠然と出版事業と映画
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