れることがないであろう。しかし、由来理想と現実とを区別する客観的な規準などというものはどこにもありはしないのである。たとえば、アメリカ人にとつてきわめて現実的な課題であつた原子爆弾の製造は、日本人にとつては一つの幻想にすぎなかつたではないか。しかし、この問題についてこれ以上執拗にうんぬんすることはここでは差し控えたい。
 いずれにしても、日本の政治をよくするために、そして真にそれを民衆のものとするために、何よりも緊急なこと、そして何よりも有効な処置は、まず何を措いても民衆に対する政治教育を盛んにすることである。
 それには種々雑多な方法があるであろうが、しかし、肝腎なことは、それを何人の手にもまかさず、我々自身の手でやるということである。ここに、勤労大衆の一人として映画の仕事にたずさわる我々の深く考えなければならぬ問題がある。
 もちろん、我々は芸術を政治に奉仕せしめる愚を犯してはならない。また、娯楽と宣伝とを混同してはならない。しかし、同時に我々は映画の間口の広さを忘れることはできないし、その能力の多様性、浸透性を無視することもできない。
 我々は、我々の芸術良心に従い、かつ十分それ
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