思い
――情報局の映画新体制案について――
伊丹万作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)荏苒《じんぜん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)これ以上|荏苒《じんぜん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]
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 寝台の上で、何を思いわずろうてみてもしようがないが、このたびの改革案が発表されたときは、やはり強くなぐられたような気がした。自分一個の不安もさることながら、それよりもまず、失業群としての、大勢の映画人の姿が、黒い集団となつてぐんと胸にきた。痛く、そしてせつない感情であつた。しかし寝ていてはどうしようもない。もつとも起きていても、たいしてしようはないかもしれぬが、一人でも犠牲者を少なくしてもらうよう、方々へ頼んでまわるくらいのことならできる。ただし、私が頼んでまわつたとてあまり効果はないかもしれないが、それでも寝たまま考えているよりはいくらかましであろう。
 最初改革の基本案が発表せられてから、もう二週間以上にもなるかと思うが、いまだに成案の眼鼻がつかず、それ以来やすみつきりの撮影所もある。何も好んで休んでいるわけではないが、提出するどのシナリオも許可されないため、仕事のしようがないのだそうである。この許可されないシナリオの中に、どうやら私の書いたものもまじつているらしいので、これは何とも申しわけない話だと思つている。
 実行案の成立が、いつまでも実現しない理由は、各社の代表が、互に自社の利益を擁護する立場を脱しきれないためと、いま一つには当局の態度がいささか傍観的にすぎるためらしい。
 各社代表が、利益から離れられないのは、むしろ当然すぎることであつて、少しもこれを怪しむ理由はない。彼らは一人々々切り離して観察すれば、おそらくいずれも国民常識ゆたかな紳士なることを疑わないが、一度、会社の代表たる位置に立たんか、たちまち利益打算の権化となるであろうことは決して想像に難くない。彼らの背には、多くの重役、株主、会社員がおり、しかも、彼らの代表する会社はもともと利益を唯一の目的として成立したものであつてみれば、彼らが利益を度外視して、真に虚心坦懐に事をはかるというようなことは、実際問題として期待し得べきことかどうか、はなはだ疑なきを得ない。
 しかしすでに事がここまできた以上、これ以上|荏苒《じんぜん》日を虚《むな》しうすることはできないから、このうえは官庁側においてもいま一歩積極的に出て、業者とともに悩み、ともにはかり、具体的な解決策を見出すだけの努力と親切とを示してもらいたい。あるいはすでに実行案があるならば、一刻も早く、それを提示して指導の実をあげてもらいたい。
 事変以来、官庁側の民間に対する指導方式の中には、「禁止しないが、自発的に取りやめろ」とか、「方法はそちらで考えろ」とかいう持つて廻つた表現がとみに多くなつた。これはおそらくあたうかぎり民間との摩擦を少なくするための心づかいだろうとは察せられるが、しかし、民間の側からいえば、このような表現の中にかえつて何か怜悧すぎる、親しみにくいものを感じ取つているのではないかと思う。
 もつと専制的でもいい、もつと独裁的でもいいから、だれかがはつきり責任をもつて、指導、あるいは命令してくれること、そして、その人の責任において示された方針や、保証された自由は、わずかな日数の間にひつくりかえつたりは決してしないところの、安心してもたれかかつて行けるような制度が、いま最も要望されているのではないだろうか。
 なお、今度のような重大な問題の討議にあたつて、一度も、そして一人も従業員代表が加えられていないことをだれも怪しみもせず不当とも感じていないらしいのは、はなはだ不可解であるが、私はそれを憤るよりもまえに、むしろ、反対に従業員側の反省をうながしたい気持ちである。すなわち、かかる大事の場合に従業員というものの存在が、このように無視され、しかもだれもそれを不思議とも思わないほど無関心な空気をはびこらせてしまつた責任をだれかが負わなければならないとしたら、それは結局従業員自身よりほかにはないということを、よく認識してもらいたいのである。
 いつたい今までだれが映画を作つてきたのだ。だれが映画を愛し、映画を育ててきたのだ。実質的な意味では、それはことごとく従業員のやつたことではないか。ことに事変以来、いかにすれば政府に満足を与え、同時に自分たちも国民としてあるいは芸術家として満足するような作品ができるかという点に関し、真に良心的に悩んできたものは、従業員のほかには決してありはしないのだ。しかも、自分たちの、そのような純粋な意欲が、多くの場合、板ばさみの苦境によつてゆがめられ、殺されてしまう悩み
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