をあげようとするような態度は唾棄すべきだと思う。そんなけちな芸術良心は日本人なら捨てるがいい。
 作品の不足から街には早くも再上映の氾濫らしい。写真はいまだにかせいでいるのに、それを作つた人は路頭に迷つていたというような皮肉なことが起らなければいいが――。写真が何べん上映されても、作つた人にはいつさい関係がないというのは合点の行かない話だが、これも結局はこちら側の不行きとどきで、いまさらあわててみたところで始まらない。
「好むと好まざるとにかかわらず」という言葉があるが、今度の改革は実にその言葉のとおりだ。官庁自体がそうなのである。なぜならば、根本の問題が映画の質に発したのではなく、フィルムの量から出ているらしいからである。もちろん質の問題も重要ではあるが、今度の場合はむしろ結果であつて原因ではないようだ。問題は深刻である。中小商工業者の問題など、知識として概念的には心得ていたが、いま自分自身が波の中に置かれた実感にくらべると、今まで何も感じていなかつたとしかいえない。このように多くの人間が、時代の波に流される激しさからみれば、偶然的な空襲の災禍などたいしたものではないという気がする。(九月五日)
[#地から2字上げ](『映画評論』昭和十六年十月号)



底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画評論」
   1941(昭和16)年10月号
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2007年7月25日作成
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