愚かなる若者をだまして醜い顔をこしらえあげ、しかも金を取つているのである。
 生れたままの顔というものはどんなに醜くても醜いなりの調和がある。
 医者の手にかかつた顔というものは、無惨や、これはもうこの世のものではない。
 もし世の中に美容術というものがあるとすれば、それは精神的教養以外にはないであろう。
 顔面に宿る教養の美くらい不可思議なものはない。
 精神的教養は形のないものである。したがつて目に見える道理がない。しかしそれが顔に宿つた瞬間にそれは一つの造形的な美として吾人の心に触れてくるのである。
 また精神的教養は人間の声音をさえ変える。
 我々は隣室で話す未知の人の声を聞いてほぼどの程度の教養の人かを察することができる。
 もつとも時たま例外がある。
 たとえば私の知つている某氏の場合である。
 その顔は有島武郎級のインテリの顔であるがその声はインテリの声ではない。
 私はあの顔からあの声が出るのを聞くと思わず身の毛がよだつ思いがする。
 思うにこの人の過去はよほど根づよい不幸に蝕まれているのであろう。
 私は必ずしも自分の顔が美しくありたいとはねがわないが、しかしそのあま
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊丹 万作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング