の意味からいえば映画の産業統制といい、また映画産業ブロック化の傾向といい、前者は画一主義を予想させる点において、後者は限られた資本系統の独占からくる無数の弊害を伴うであろう危険性においてともに私の最もむしの好かぬ現象である。たとえば映画統制の手始めとして着手された日本映画協会は創立されてもう一年近くにもなるが、いまだかつて同協会が人道的な意味から四社連盟の存在を検討したという話を聞かない。それどころかむしろ彼らの間では話題にさえのぼったことはないであろう。なぜならば四社連盟の張本人たちがことごとく協会の主要な椅子を占めているのだから。
 この一事をもってしても我々は日本映画協会などというものから文化的には何らの意味も期待できないことがわかる。ただこのうえはさいわいにして彼らが無能であってこれ以上映画界に害毒を流すことさえなければまことに見つけものだと思ってそれだけで十分消極的に喜んでしかるべきであろうと思う。話が少し横にそれたようだ。
 さて、すでに根本において自由競争を最も合理的な発展形式と認める以上、よき技術者の争奪は避くべからざる現象であって別に大騒ぎをするには当らない問題であると私は考える。もっとも会社側からいえば、それでは不安でしようがないというかもしれぬが、そんな不安を除去する方法はいくらでもあるように私には考えられる。
 たとえば自分の社の従業員は、常にほんのわずかでも、他の会社よりはよい条件のもとにおいてあるという自信があれば、そんな不安はほとんど解消してしまうに違いない。
 なるべく悪い条件で使いたい、しかしよそへはやりたくないというのが今の会社側の考え方である。そんなむしのよい話が世間に通用するものかどうか私は知らない。
 いま一つは双方とも契約の期間をせいぜい短くするように心がけるべきである。映画界の情勢は一年もすればすっかり変ってしまう場合が多い。それを考慮しないで長期にわたる契約をするものだからほうぼうで見苦しい契約違反沙汰が持ち上るのである。長期契約はいずれのためにもよくない。
 次に会社はもう少し後継者の養成に留意しなければいけない。第一線に立つもののことばかりしか念頭においていないから、ごく少数のものが一時に去ると大きな図体をした会社がたちまち悲鳴をあげて立ち騒ぐのはあまりに大人気ない図ではないか。Aが去った場合にはB、Cが去った場合
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